営業で使うビラは、とても重要である。特に飛び込み営業では、お客さんと会う時間が限られているので、ビラを目的に沿った物をきちんと作っておかないと効果を発揮することができない。
今までビラや広告の本を数冊読んでいた。特に「あなたの会社が90日で儲かる!」(神田昌典 フォレスト出版)は何度か読んだ。
しかし、「さぁ、ビラを作ろう!」と思ったとき、手が進まない。言葉が思いつかない。終いには、目的さえもあやふやになりかけた。
以前にもこうした状態に陥ったことがあったことを思い出した。
それは、「ブログ」を書こうとした初めの頃に似ていた。「今日の日記」ですら何を書いてよいのか分からない。何から書き出したらいいのか、何をどう言葉で表現したら伝わるのか分からなかった。
ブログと同じように、ビラの原稿すら書けなかった。不思議な思いがした。日記もビラも、書くネタは頭の中にはあるはず。
こんな風にレイアウトをしたいとか、こう表現したいということは、ある。でも、鉛筆を持ち紙に向かうと、言葉が出てこないので、もう進まない。
捕まえようとしたカニが、穴に入って出てこなくなったように、言葉が出てこなくなった。
時間をかけて作ったものの、文章が数行並ぶ程度にしかならなかった。不思議なことだ。
でも、このブログでも同じように、続けていれば、できるようになるものではないかと思う。なんでも、慣れないものは、最初難しく感じるものなのだと思う。
毎日自分のビラとにらめっこしながら、あぁでもないこうでもないとうなっているうちに、書けるようになるものなのだと思う。バットを持ったことがない人が、いきなりホームランなんか打てる訳がない。と、自分に言い聞かせて、これから数ヶ月間続けていれば、要領の悪い僕でも、少しはできるようになるだろう。何事もこつこつやっていこう!
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『日本人にかえれ』(出光佐三/ダイヤモンド社/1971)
石油の会社「出光」を創業された出光佐三さんの本で、「卒業証明書を捨てよ」の章を読書会で読みました。入社式の挨拶で話された内容が本になったものです。当時85歳の時に話された内容だったので、本当にエネルギッシュな人だったということが伝わってきます。
「今の日本は、○○だ、今の日本人は○○だな」という声は、よく聞きます。今日も国際政治の立場から、日本は○○しなければならないということをよく聞かれます。その中で今回、この本を読んで感じたことは、難しいことを並べたり考えたりして、批判や愚痴を言うではなく、「何かに向かって、みんなで一緒に切磋琢磨する姿勢」がこの国では欠けているのではないか、ということです。
出光で大切にしていることの指針として、「出光には、人間をつくることが事業であって、石油業はその手段である」とあるそうですが、これは、松下電器の松下幸之助さんと同じことを言っているからびっくりしました。人をとても大事に考え、そして、育てていくという姿勢が両社にはあります。
出光では、解雇・退職・出勤簿がないそうです。それは、人の可能性をどんどん引き出して、よい仕事をしてもらおうとする考えから、必要がないと考えたためです。
そのため、時間外手当を出さなくても、仕事の時間が過ぎた社員が楽しんで仕事をしているそうです。その人自身がどんどん成長し、その周囲の人も巻き込んでよい環境を作っていく。そうすることで、おのずと一つの仕事からでも社会貢献が生まれ、よい循環が起こっている会社だと感じます。
さらに、「人間が真に働けば、こういう大きな力を発揮する。そして、一人一人が強くなり、一致団結して、和の力を発揮したときには少数の人でも、こんな大きな力があらわれるのだということをあらわして国家社会に示唆を与える」とあります。障害者雇用でも、積極的に取り入れており、働く能力があればどんな人でも、適材適所に仕事をする環境を作るのが出光。そう考えると、本当に石油の会社ではなく、人間を育てる会社だなと思わずにはいられません。
出光さんのすごいと思うところには、出光という今では大きな会社が、設立当初従業員50人からでも、今と変わらず同じことを出光さんが話しているということ。これは、成長していないということではなく、当初もっていた気持ちを守り続けているということがすごいなと思います。戦後、会社設立当初からずっと言い続けたことが「青年への期待」です。
この章の中で、一番好きだった言葉が、「小さなことをやらなければ、大きいこともやれないということ」だ。上にも書いた「当初からの気持ち」を忘れて、ついつい人というのは、基本よりも応用編に眼がいってしまいます。小さいことよりも大きなことをしたがります。しかし、基礎がない人間が、応用はできませんし、大きなことだけできることもありません。
最後に、この章を読んで日本人とは本当にすばらしい民族だと感じました。国がどうのこうのとか、景気がどうのこうのではなく、昔の日本人がどんなことを大切にしてきたのか、外国人が真似できない日本人像というものがあるのだと感じます。自分たちの足元からよくしていけば必ず、未来は開けてくると思います。出光とは、そうした環境作りができた最高の組織のように思います。
買い物をするとき、必ずお金を持っていく。それは、お金を持っていかないと商品が買えないからである。
チョコレート150円、アイス100円、ガム50円…
物には、当たり前のように値段がついている。例えば、チョコレートも150円の中には、カカオの値段や包装紙、運賃、人件費などが含まれている。これが適正な商品の値段となって店頭に並べられている。
しかし、消費者の私たちは、棚に並べてある価格の裏付けを普段考えることはない。
あっ、150円なんだ! これ、100円なんだ…、と箱の大きさや重さという見た目や手に持った感覚で安い高いを判断することが多いのが僕だ。
よく「物の値段とは、その物の価値を表している」という。
価値とは、「ある事物について、役に立つ、重要であると認められる特質。また、その程度。値打ち。」(国語辞典)とある。
そう考えると、価値とは、一つの可能性であるというように考えていい。
チョコレートだって、お腹が空いたという問題を解決してくれるし、栄養分だって充分満たしてくれる。ジュースだって同じだ。そうした問題と解決してくれる可能性を含んでいるのが、チョコレートやジュースなどの商品の値段なのだと思う。
古いものがちょっとしたインテリアになっているが、レトロと表現すれば、その価値は上がる。逆に、ボロと表現すれば、その価値は下がり、ゴミとなっていく。物の価値が下がったということは、それだけの使う可能性が無いと判断したために、下がったのだ。
しかし、ここで考えなければならないことは、お客様の存在だ。ただ、安くすればいい、高くすればいいというのでは、なんの価値も生まれてこない。本当のよい価値の付け方は、必要とする人と物の可能性が一致するとき、その商品の価値の裏付けがされる価格設定だと思う。
と、ここまで書いてみたものの、んっ〜、なんか自分でもよく分からなくなった…。
100円と値札が貼っていたら、それだけで、「100円なんだ」としか思わない。でも、100円という値段を付けるにはきちんとした裏付けがあって100円になっているはずだ。
値段を付けるとは、そう簡単にできることではないように思う。
んっ〜、難しい。
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昨日は、かなり暑かったですね!
とうとう夏用のネクタイを1本購入した。
昨日は、ある写真屋さんに商品の提案をしに行った。
「こういった物を作ってみてはどうですか?」と。
でも、「あっ、それはね、以前やったことあるよ」と一言。
またしても、力およばず撃沈した。前日から、この提案は受けるだろうと密かにワクワクしながらいたのだから、力が抜け落ちたようになってしまった。
でも、その後、色々とお話を伺うことができて、倍の勉強ができた。
アイデアなんていうものは、そう簡単に出てくるものではない。特に会社やお店を経営されている人にとっては、もう何十年とその道にいらっしゃるのだから、ちょっとした思い付きというものは、もうすでに経験されていることが多いというものだ。
モーツァルトが「魔笛」のメロディを思いついたのは、玉突きをしていたときだという話がある。数学者のポアンカレ―は、馬車の踏み台に足を掛けたり、道路を横切っているときに新しい発想が浮かんだと述べ、蒸気機関の改良で有名なワットは、ゴルフのクラブハウスに行く途中、歩きながらアイデアをつかんだ、といられている。(「知的想像のヒント」外山滋比古著、講談社)
しかし、こうした人たちとは、常にどうしたらこの問題が解けるのか、もっと効率を上げるには、どうしたらいいのかを考え続けている人なのだ。
「アイデアとは、苦し紛れの知恵のことさ」とある経営者が言ったそうであるが、確かに、今まで読んだ創業物語や社長の話には、業績が伸びているよりも、苦しい時こそ、アイデアが出ていた。
本当は、アイデアがポンと出ていたのではなく、苦しい時でも逃げずに考え続けたからこそ、辿り着いた結果なのだと思う。
そこには、アイデアよりも忍耐があるように思う。
これからもお客さんから勉強していこう!
さて、今日もワクワクしながら、お客さんへ提案しに行こう!
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FIFAワールドカップが盛り上がっていますね。
昨日は、日本対クロアチア戦でしたが、惜しくも引き分けに終わってしまいました。
ちょっと、残念な気もしますが、次回は勝ち点を取ってほしいと思います。
今日、日本だけではなく世界中で、スポーツが盛んになっています。
サッカー、野球、ゴルフ、バレー、卓球、マラソン、バスケ、ボクシング…
地域や時期によってその人気には波があっても、スポーツ自体に人気は衰えることはありません。
中学や高校では、毎日のようにしていたスポーツをしていました。
今考えると、あれだけ体を動かせた時期は、やはりあの時が絶頂だったように思います。
今はそういう環境を自分で作らないと運動なんてしないようになりました。
僕はスポーツや体を動かすことは大好きなのです。
そして、試合場で観戦することも好きです。
しかし、TV観戦することはあまり好きではありません。
なぜなら、同世代の人たちが目の前で頑張っているのに、自分はのこのこTVを見ている状況が嫌だからです。
応援したい気持ちはあるのですが、「応援=TVを見る」はちょっと違うと思うのです。
彼らも試合に出るまでの練習で、人並み以上に頑張っているのだから、自分も「今やらなきゃ」と思ってしまうのです。
なので、TVを観ていても、すぐ席を立ってしまいます。
実際ピッチに立っている選手は、自分たちの想像を超える練習をしているものなのですから。
今僕は、ほぼ毎日ランニングをしています。
健康のためというより精神を鍛えるために、と言い聞かせているのですが…。
走っていると、声援まではありませんが、そうした声を掛けられることもあります。
それはそれで結構嬉しいのですが、やはり自分が決めたタイムなどを達成したときの方が充実したものになります。
ただの観戦者ではなく、ピッチに立つプレーヤーとして活躍していきたいです。
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