
朝6時頃の風景。自然の色ってとてもきれいだ。
今週一週間は、色んな種類の本を読んでいた。マーケティング関係、イベント関係、お金に関することや経済、論語…、本棚を見て気になったものを手にとって読んでいた。意図があって読んでいたのではなくて、パッと気になって読んでいたのが本当のところだろう。そのため、正直頭にはあまり入っていないように思う。
その中に、久しぶりに「論語物語」も読み返していた。やはり子路という人間は、僕と似ているところがあるように思う。「志をいう」というお話がある。登場人物は、子路と顔淵、そして孔子だ。子路は、自負心が強くて、物事を浅っぽく考える癖があり、孔子から叱られる回数も多かった。しかし、門人の中でも、孔子から一番愛されてもいる存在だった。顔淵は、頭の回転が速く、一を聞いて十を知る持ち主である。それを誇らず、そして誰でも尊敬の念を持って接しいた人だった。
ある日、子路の姿勢を正そうと、孔子は、顔淵と子路の3人で話す場を作った。そこで、孔子は、それぞれの理想というものを子路と顔淵に話させ、子路に何かを気付かせようとした。子路が理想を述べた後、顔淵の理想の話を聞いてもピンくるものがなく、物足りなかった。そこで、孔子にも同じことを伺うことにした。子路の鈍さに驚きながらも孔子が自分の理想像を答えると、それを聞いていた子路は、ありふれた答えと写ったらしく、「孔子様の理想というものは、そのくらいだったのか」と拍子抜けした。しかし、今回こそ孔子に近づける答えを言えたと思って聞いていた顔淵は、顔をうな垂れた。まだまだ、自分は孔子に近づけないと感じたからだった。孔子は、子路に気付きを与えるためにその場を作ったのだが、逆に顔淵に深い気付きを与えてしまった。その後も孔子は、子路への配慮をどうしたものかと悩んだというお話だ。
なぜ、この話を書いたかというと、顔淵のように深い思考力を身に付けたいと思うからだ。顔淵は、すべて自分のことに置き換えて考えていた。しかし、僕は、何か注意されてもその場では気付かったり、発言した後に何か足りないと感じたりすることが多い。質問されたときに、サッと答えを出せることは確かに大切なことかもしれないが、それ以上に「自分の考え」をはっきりいえるようになりたいものだ。
今週本を読んだにも関わらず、その要点を言えない、捉えられていないということも同じことだと思う。浅いところではなく、もっと深いところで、物事を見極められるようにならなければ、同じところをぐるぐるしているように思える。さらには、顔淵のように、誰の意見に対しても同じような態度で聞ける姿勢も身に付けていきたい。乱読というか、心の迷いが色々な本に手が伸びている証拠だろう。顔淵のように、自分と向き合わなければ何も始まらない。