クマモト日記
〜「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」(江副浩正・リクルート創業者)〜

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kumamoto

Author:kumamoto
性別:男性
誕生日:1979年5月24日
血液型:O型
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「営業塾最終日」
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毎週楽しみにしていた営業塾全6回が終わってしまった。多分、この塾を誰よりも楽しく過させてもらったのは、僕ではないだろうかと思う。

サークル活動にお邪魔するのも大学生の活気があったり、みんなの専門分野の話を聞いたりしてたくさん学ぶところがある。
しかし、今回の営業塾では、FUNの部員じゃなくても、参加できる。そのため、社会人でも参加できるのが、僕としてとても嬉しかった。

営業をしている社会人、来年4月から営業する内定先で営業職をする4年、まだ就職活動もしていないが営業に興味がある2年生の参加もあった。

人の失敗も成功も、この場所なら、何でも言える雰囲気が好きだった。この講義を受講するだけという人もいただろうし、職場で実践した人もあるいる。全6回を通して感じることは、みんなが少しずつ成長した時間であったということだ。

ここで僕が言う『成長』とは、決して「成績が上がった」「契約がバンバン取れるようになった」という結果ではない。確かにそうなれば、さらにすごいことだろうが、それも時間の問題かもしれない。

僕が思う営業塾の良さは、「プラス」を高めるものではなく、「マイナス」を減らすことが大切だということだ。「契約契約」とものすごい勢いのある人もすばらしい人だと思う。しかし、誰でもそうできる人というのはいない。その人のスタイルというものが必ずある。この点、この営業塾では、いつも「失敗をする、ここというときに逃がしてしまう」というある意味マイナスの部分を無くしていく作業がある。

自分の中で、マイナスが無くなれば、または少なくなれば、それだけで失望することはなくなるし、自信にもつながってくる。自信が持てれば、自分のよいところだって、ぐんぐん伸びていく。つまり、その人の持って生まれた才能を開花させることができる、そんなことをこの営業塾では学んだように思う。

はっきり言えば、タイトルは『営業塾』ではあるが、中身は、「人生塾」のようにも思う。どんな困難な壁にぶち当たろうとも、どんなつらいことがあろうとも、常にみんなで改善策を考え一週間実行し、さらにまたみんなで反省していく。業界業種別々の人間が集まって話していても、さらに学生が混じっていても、「その人の目標」をみんなが共有していることが、次へのアドバイスへとつながってお互いが成長していける。

誰かが教える、受身になるというスタイルではなく、みんなで教えあい知恵を出し合い、一人のひとの問題を解決させるための大切な時間だった。この一ヶ月間の時間は、今までに過したことがない時間だった。


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「言葉の深み」
昨日の朝から「読書」について考えることがたくさんあった。
一体、小林秀雄さんという人はどういう人なのだろうかと。
本は一冊しか持っておらず、しかもきちんと読んだことがなかったため、僕の中で謎が起こった。
といっても、ただ自分が知らないだけなのだが、たくさんの作家の中でも、何かが違うと感じるところがある。

それは一体なんなのだろうか?

そんなことを考えていたら、ある日恐い夢を見たことを思い出した。最近ビルに入っているテナントにばかり飛び込みに行っているせいかもしれないが、入口が見えているのに外に出られない怪奇現象というちょっと恐い夢を見た。

そんなことを思い出していたら、さらに疑問が湧き起こった。

世界で一番恐いもの(人に影響を与えるもの)ってなんなのだろうかと。

核爆弾(それは確かに恐い)、空気感染の病気(これも目に見えない分恐い)、もしかして隕石墜落(アルマゲドンのようだったら恐ろしい)…と、くだらないような感じもするが、そんなことを考えていたら、その答えが一つ出た。

それは多分、「言葉」ではないかと。

言葉といっても、しゃべり言葉や礼儀正しい言葉、誉め言葉から人を傷つける言葉まである。
言葉という要素には、優しい時もあるし、厳しい時もある。さらに人を傷つけるという恐い存在でもある。

さらに、同じ言葉を発信する人によっても、受け取る人の印象は変わってくる。友達、親友、大切な人、大先輩からだったら、受け止め方が違ってくるだろう。

さらに、これは話し言葉よりも活字の時の方が、受ける印象は全く違ってくると思う。
なんども読み返すだろうし、その都度反省や喜びにもなってくる。

なぜ、言葉が世界一、人に影響を与えるものなのか?

人間が原始時代から今までに使う日本語、英語、フランス語、中国語、韓国語、エジプト語…形こそ違えど、「伝える」という意味では変わらない。身近にある「言葉」だからこそ、人への影響というものが大きいのではないかと思う。
しかも、古典とか論語とかは、何千年経った今でも私たちに語り語り掛けてくるからすごい。
何千年経った内容のものが未だに本として売られていうということは、それだけ磨きかかった言葉だということである。

だから、一流の言葉というものは、世界で人に一番大きな影響を与えるものではないかと思う。

僕が使う「愛情」と小林秀雄さんが使う「愛情」とは、全く別物になるだろう。

一つ一つの言葉を例えて言うなら、次のようになるかもしれない。
言葉が石だとしたら、僕が浅瀬に石を投げるとすると、小林秀雄さんの言葉は、石を井戸に落すような、深いところで音が鳴るようなそんな感じだと思う。
僕の言葉をインスタントのお味噌汁とするならば、小林秀雄さんの言葉は、高級かつお節からとったダシの味噌汁のようにいつまでもおいしさが残るものだ。
僕の言葉をカラオケのエコーとするならば、小林秀雄さんの言葉は、空気の澄み切った山彦となり、きれいな響きとなる感じだ。

こんなことを書くと失礼となるかもしれないが、似つかせようとしてもとても手の届くところではないような、そんなイメージを言葉から受け取る。

映像だとインパクトはある。しかし、いつかは忘れてしまう。
しかし、専念された言葉は、いつまでも消えることのない知的快感を感じさせられる。

文字・言葉というものは、人間にとって、よい意味でも悪い意味でもものすごい影響を与えるものだ。

ちょっと、例えが分からなくなってしまったが、世界で一番恐いもの(人に影響を与えるもの)は、「言葉」ではないかと思うのだ。

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「読書について」
「兄小林秀雄との対話」(高見沢潤子/講談社現代新書1969)から「批評精神について」と「読書について」を今日8時からの読書会で読みます。僕は、一足先にこのプリントをもらったので、先に読見ましたので、書き込みをしようと思います。

小林秀雄さんは、土曜の読者会で知りました。「考えるヒント3」(文春文庫)にある「美を求める」は、今でも忘れない名文です。
自分の感情や思いを言葉で説明するのは、なかなか難しいことです。しかし、小林さんなら、どんな情景のものでも文字で私たちに伝えてくれると思います。この「美を求める」という章だけでも、「美」をここまで分かりやすくしかもきれいな文章で説明してくれるものはないのではないかと、読み終わったときに心に温かいものを感じたくらいです。

その小林さんと実の妹との対談がまとめられたのが本書です。その中で今日は、「読書について」を書きます。実の妹の質問なり思いとそれに小林さんが答えたり考えを述べたりする内容になっていますが、とても分かりやすく書かれて、読みやすいです。 
前章の「批評精神について」と連動している部分もありますが、その中で、小さなタイトルに「読んで、作品にひれ伏す」があります。

「ほんとうに一流作品に影響されるということは、そのすばらしさに、ぐうの音も出ないほどにやっつけられることだ。―そういう体験を、恐れずにつかまなければ、名作から、身になるものを受けられないよ。―」

こうした体験が、「美を求める」にありました。最近では、倉田百三作「出家とその弟子」(岩波文庫)を読んで、こうした状態になりました。言葉が出ないという感覚になりました。
名文や名作とは、本や文章からガツンとパンチが飛んでくる感じがあります。
「美を求める」では、今まで自分でも少しは考えようとした「美」ということを、ここまで分かりやすくしかもきれいな文章で説明できるのかと驚きました。

「一生懸命に熟読していけば、本が本に見えないで、それを書いた人間に見えてくる。いいかえれば、人間から出て、文学となったものを、もう一度人間にかえすことが、読書の技術なんだ。」

読書というとどうしても受身のようなかっこうで読んでしまいます。しかし、「読書について」では、作者の再生が起こるとあります。自分に足りないところを指摘するように、作者が教えにきているようにも思えます。本当の読書とは、楽しいというよりも、今の自分に足りないことを知る恐ろしいものから始まるのかも知れないですね。

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「古着ショップ」
豪雨も過ぎて、とうとう夏到来ですね!

暑い日がこれから続くでしょうが、みなさん体調管理には気を付けて下さいね。
僕は、暑い日は大嫌いです。汗かきだからです。それから、肌が白いので、ちょっとでも日に焼けると、真赤になってヒリヒリ感が取れないのが辛いからです。理由はこれだけなんですが、暑いのは嫌いです。
でも、家でクーラーや扇風機に当たって過すのも嫌なので、結局は外に出てあちこち行動してしまうのですが…。
電気が無かったときの昔の人たちというのは、この暑さをどう乗り切ったのでしょうか?不思議です。


ここ2週間は、営業にてあれこれ試行錯誤しながらやってきましたが、少しずつ、光のようなものが見えてきました。
昨日行った古着屋さんでは、珈琲まで出してくれて、特に僕の好きな創業時のお話を聞かせてくれました。
古着のお店を始めたのは28歳の時。僕とそう変わりません。古着の分野での仕事をしたり、古着のことに詳しかったりした訳ではなかったそうです。ただ、古着が好きということで、28歳の時に思いたって独立したそうです。前職がどんなお仕事などは聞いていませんが、「好き」というだけで、今までと全く違う仕事に取り組んだのには、相当勇気がいったと思うのですが、それよりも「好き」だという気持ちが先にあったと楽しく話してくれました。

初めのころは要領も分からず、仕入れ方も分からないままで手探り状態だったそうですが、古着の仕事が楽しくて楽しくて、夜も眠れないほどの毎日を過していた。それから、20年。今では、大名店として有名な古着ショップとなりました。

「一度捨てられたものに、息を吹き返すことの喜びがある」と古着の良さを語ってくれました。「好き」という思いから始まったこのお店は、オーナーの思いが溢れています。なぜか、ペットも犬もいて、店番もしていました。

今でも、アメリカなどに仕入れによく行くそうなので、商社とかアパレル関係に興味がある人は、結構取材をするのは、面白いと思いますよ。

営業で面白いなと感じるのは、こうした全く見ず知らずの人と仲良くなれることです。時にその人が、オーナーなり社長さんだったりすると、必ず聞いてしまうのが、創業時の思い。その人の大変だったことやつらかったこと、楽しいときなど、ドラマが聞けることは、めったにないことだからです。

また、今日も暑いですが、どんなドラマに会えるだろうか。

さぁ、行ってきます。

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「ビラ作り」
昨夜から、ビラを作っているが、なかなか思うように作れない。書いていると、つい自分の主張になってしまい、うさんくさくなってしまう。

今までも営業塾、面接塾、作文塾、スピーチ塾など、いかに相手の立場になって考えるか、行動することが大切かということを学んできた。
ビラでも同じように、相手=お客さんの立場になって作らないと、誰も読んではくれない。
頭の中では分かっているのだが、それを実践するとなると難しい。

午前中、家にヤクルトの営業がやって来た。以前、よく飲んでいた「ヤクルト」なので、簡単にお話だけを聞き、チラシ一枚をもらうことにした。そのチラシの内容を見ると、ヤクルト自体の効果と購入代金の一部が障害者の寄付金になるという内容だった。
商品の「買え、買え」というような主張は一切なかった。
これが上手い作りなのかどうかは分からないが、内容をじっくり読んでしまった。

「あなたの会社が90日で儲かる!」(神田昌典 フォレスト出版)の本では、エモーショナル=感情を動かすことが、チラシでは重要であると述べている。つまり、読者が「お、これは!」と心を動かす内容や言葉を掲載することだ。それは、常に読者の立場に立った配慮をしていかないと分からない。

そして、最近多いなと思うチラシには、顔写真や似顔絵が書いているものがある。その顔から吹きだしから一言コメントが書かれている。ただの「※」印の注意書きよりも、こちらの方が目立つし、さらに店員さんだったら、親近感も出てくる。
こうした工夫を使ってどの企業さんも、少しでも注目してもらえるようにしている。

まだまだこのような内容のチラシを作ることができない。勉強あるのみである。


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「改善、改善の日々」
今週月・火と昼間から外で遊んでいる小学生たちをよく見かけるので、「学校に行かなくなった子どもも多くなったな」と悲しい気持ちになっていた。これでは、日本がよくなるはずがないと。
が、よく考えてみると、みなさん夏休みなんですね!
そういえば、そんな休みがあったなと思い出した。人よりちょっと多く、夏休みを経験した僕ですが、そんなころのことをすっかり忘れてしまっていた。
今の小学生たちは、夏休みを過しているのか知りませんが、やっぱり外で遊ぶことが一番のように思う。太陽の下でたくさん焼けて、水に濡れながら、自然と触れ合うことが、僕は好きだ!


昨日は、営業のビラを改善し、大名近辺に飛び込み営業で30件を回ってきた。別に多い数字ではないが、先週からの強い雨で、雨宿りしながらだったり、チラシが濡れたりしたので、一つの目標が達成された。

しかし、昨日の僕の頭の中には、数を回ることに頭がいっぱいであったことが反省点としてあげられる。

今までは、説明+客層や店内の雰囲気、装飾品、値段…など、色んなものを見て情報としていた。メニューやオープン時間やクローズ時間をチェックし、色々と想像したりもしていた。そうした情報から、お客さんが困っていることや提案を考え、次に行く宿題を貰って帰ることにしていた。

しかし、昨日は、とにかく数を回ることしか考えていなかった。決めた質問をして、早く次のお店へと急いでしまった。そのため周囲の情報を得ず帰ってきてしまい、喫茶店でノートにまとめていると、書く内容があまりないことに気付いた。回った店名や決めた質問の情報はまとめることができても、それ以外の情報が書けない。回った8割が洋服店だったが、どの店がどの雰囲気のお店か、どんな店員か、そんな簡単なことまで頭の中でごっちゃごちゃになってしまって、分からなくなった。

おぉ〜、さすが要領の悪い僕だ。一つのことが達成されれば、またすぐに課題が出てくる。

しかし、こうした改善をどんどんしていくことに、本当の意味があると思っている。なんでも初めからオールマイティにできる人間なんて誰もいない。
そのため、今日の課題は3つの質問は必ずすることと『売り上げ筋商品』と『客層』は聞いてこよう!そして、今日は、50件を回る!何が何でも回る。

毎日1つ1つクリアしていけば、100日後には、今の自分の100個成長している自分となれる。何事も続けることから始まりがある。人間に失敗があるとするならば、この改善をしないかったときのことなのだと思う。続けていけば、できるようになるのだから。


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「一枚のビラ作り」
営業で使うビラは、とても重要である。特に飛び込み営業では、お客さんと会う時間が限られているので、ビラを目的に沿った物をきちんと作っておかないと効果を発揮することができない。

今までビラや広告の本を数冊読んでいた。特に「あなたの会社が90日で儲かる!」(神田昌典 フォレスト出版)は何度か読んだ。

しかし、「さぁ、ビラを作ろう!」と思ったとき、手が進まない。言葉が思いつかない。終いには、目的さえもあやふやになりかけた。

以前にもこうした状態に陥ったことがあったことを思い出した。

それは、「ブログ」を書こうとした初めの頃に似ていた。「今日の日記」ですら何を書いてよいのか分からない。何から書き出したらいいのか、何をどう言葉で表現したら伝わるのか分からなかった。

ブログと同じように、ビラの原稿すら書けなかった。不思議な思いがした。日記もビラも、書くネタは頭の中にはあるはず。
こんな風にレイアウトをしたいとか、こう表現したいということは、ある。でも、鉛筆を持ち紙に向かうと、言葉が出てこないので、もう進まない。

捕まえようとしたカニが、穴に入って出てこなくなったように、言葉が出てこなくなった。

時間をかけて作ったものの、文章が数行並ぶ程度にしかならなかった。不思議なことだ。

でも、このブログでも同じように、続けていれば、できるようになるものではないかと思う。なんでも、慣れないものは、最初難しく感じるものなのだと思う。

毎日自分のビラとにらめっこしながら、あぁでもないこうでもないとうなっているうちに、書けるようになるものなのだと思う。バットを持ったことがない人が、いきなりホームランなんか打てる訳がない。と、自分に言い聞かせて、これから数ヶ月間続けていれば、要領の悪い僕でも、少しはできるようになるだろう。何事もこつこつやっていこう!


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「雰囲気」
6回ある内、4回が終了した営業塾。営業というスタイルを根本から変えていく講義です。

その中で、昨日ある学生さんが、「営業塾の雰囲気が好きだ」ということを話していました。
僕も同じように感じていました。サークル感でもなく、友達とワイワイ話すという感でもなく、「営業塾」という雰囲気がそこにはあります。

メンバーは、FUNのOB・OGの社会人から、サークルメンバー、サークルには入っていないものの関心がある人がいます。
このFUNの勉強会で全体的に年齢層の高くなったこの雰囲気の中で、何が一番いいなと感じているのかというと…。

多分、それは「自分の失敗」を包み隠さず、話せるところではないかと思います。

もちろん、営業を経験したことのない人もいるし、電話(テレアポ)のみ、ルート営業、飛び込みまで経験した人までいます。

とにかくそうした中で、みんなが営業ということに関心を持って参加しています。
その中で、「失敗」とは、マイナスと捉えられるのではなく、1つの経験(ステップアップ)として、みんなが真剣に聞いてくれます。

その体験が、また人を大きくしてくれているのかもしれません。
人の前で話す人も、その話を聞いている人も真剣に話したり、聞いたりする、そうした雰囲気が僕は大好きです。

週一回2時間半の勉強会は、毎回楽しみにしています。

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「集中の仕方」
本



今日は久しぶりに寝坊してしまいました。朝5時に目が覚めて台所でお茶を飲んだことまでは覚えているのですが、それ以降の記憶がありません。どうやら、いつの間にか寝ていたようです。

昨日のビジネスカフェで読んだ本「時間の儲け方」(能率頭脳集団 KKベストセラーズ 1983)です。

今回読んだ章は、「自分をのせる方法」として集中するための方法や心得が書いてあります。さらに「20倍の速読術」では、その名の通り速読を体得するための方法が書いてあります。

その中で、特に僕が興味深かったこととして、集中力の大切さについて書いてみたいと思います。

みなさんの中にも、気分転換といって、休憩することはあると思います。そして、また作業を始めるでしょう。人間、24時間ずっと集中している人なんていないし、いつまでも緊張している状態に耐える人もいないと思います。
このブログを書いている時でも、集中できずに、普段食べないチョコレートが台所にあったのを思い出して、つい食べに席を立ってしまいまいた。

この「自分をのせる方法」の最初に、
「集中力はだれにでもそなわっている。頭の良し悪しとは、関係がない。ただ、それを意識して使い、成功に導くか、それともサビつかせてしまうかだけの差だ。」
とある。どんな人にも集中力というものは、脳みその構造さえ一緒であれば誰にでも備わっているものなのです。
しかし、その使い方生み出し方が知って使っているのと、知らないでいつの間にか使っているのとでは違います。

この章に登場してくる内容に、米倉邦雄さんがいます。以前この読書会で米倉さんの本を読んだことがあるので興味深かったです。
プロ将棋の米倉さんのやり方としては、15歳から21歳のまでの6年間、毎日5時間と決めて将棋に没頭しそうです。さらに、将棋を一局打つと2日から3日は、リラックスタイムとして集中の準備として時間を使っていたそうです。時間を決めて集中することと、集中するためのリラックスする時間を交互に使い分けていたということです。

また、中曽根総理は、激務のときでも、時間を作り『座禅』をしていたといいます。これは僕も小さい時に、TVで見たことがあるから知っていましたが、この時は、「何かいい案はないものか」と考え込んでいるとばかり思っていた。しかし、「この座禅で悟りを得ようとは思っていない」と書いてあったので、びっくりしました。

「リラックスタイムとは、いわば集中する準備」だという。そのため、集中したあとに「あ〜、疲れた〜」となるのではなく、次になにをするか、どう集中するかを考えたリラックス方法が大切だということです。ただ、だらだら無駄に時間を過したり、体を休めたりすることではないということです。
上の2人は、この時間の使い分けが上手にできていたことと、リラックスタイムにはどんな時間をすればよいかを知っていたということです。

今回のこの本を読んで思ったことは、例えば、「読書に集中する」となれば、「読書をするためのリラックスタイム」または「リラックス方法」があるのではないかと思います。「勉強に集中する」のと「勉強用のリラックス方法」があるということです。これは、別にみんなが共通する方法があるというわけではなく、自分で作っていくものではないかと思います。
そうすることで、このリラックスをしているから、次はまたこれに集中するのだと体が覚えてきて、次の作業にスムーズに移行できるのではないかと思いました。
こうしたことを知らず知らずの内に行っている人もいるかもしれないですが。

車やバイクを運転するのにも、初心者では、信号機や周囲の人、対抗車線、ミラーなどにずっと集中して、30分の運転でもすごく疲れてしまうものです。
しかし、慣れてくると、信号機や人、ミラーなどそのポイントポイントで集中できるようになるため、チェック回数も少なくなります。それ以外の時間では、別のことを考えたり、おしゃべりしたりして過すので、30分の運転しても疲れは少ないでしょう。それが慣れ=集中するときとリラックスするときが分かっているということになるのではないかと思います。この波を上手く活用する方法を自分が意識して持っているか否かの差が「自分をのせる方法」ではないかと思います。

このブログでも、以前は夜書いていました。その日のことを夜書くことはよいことだと思いますが、何度やっても上手く書けませんでした。ご飯を食べたり、お風呂に入ったりして、書く内容を考えていると、次に睡魔が襲ってきます。そうすると、どうしても誤字脱字があったり、内容がよく分からなくなったりと集中していないことに気付きます。
そういうことがあったので、あまり夜書くことはしなくなりました。そのため、夜は紙に書こうとしている内容を走り書きのようにして書いておき、朝アップするという作業に切り替えると、そうすると、少しはましになってきました。

同じ「書く」という作業にも、時間帯や手順を変えるだけで、集中力というものは変わってきます。また、そうした、リズムというか方法が自分の中で、知っているか知っていないか、意識しているか意識していないかでも、この効率はさらに違ってきます。

僕は、なぜか時間の使い方が下手くそです。特に夜なんかは、ものすごくダラダラとすごして、いつの間にか2時とかになっていたりします。これはもったいないことです。時間を投下しただけ実力が上がっていればいいのですが、そんなことは決してありません。効率よく実力を上げていくにも、効率よく集中し、効率よく集中するための準備としてリラックスをとらなければならない。

今日の寝坊は、リラックスではなく効率を悪くした代物です。

この本は、僕にとって、必要な本だ。ブックオフで探さねば!

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「毎月のイベント!」
朝日



久しぶりに雑誌の入稿へ行ってきました。
それぞれが書いた原稿を持ち寄って、1つの雑誌へと変わっていく工程の最終段階です。
何も知らなかった僕にとっては、この入稿の現場こそ不思議なときだと感じます。

なぜならそこには3人ほどのメンバーしかいないのに、手元の原稿をそれぞれ見ると、何十人もの思いが詰まったものがあるからです。しかも、全ページオールカラーだからすごい。「for FUN」の雑誌ではまだまだ見ることができないオールカラーを見るのは感動的です。写真もきれいだし、みんなのイラストレーターの色合いも白黒で見るよりもはるかに伝わってくるものがあります。

前日までは、それぞれの家庭にあった原稿が、次の日はきれいに集まってくる。これも一般家庭にパソコンとネットが普及したことからできることなんだろうが、それよりも、みんなが自分の思いを届けたいとか、よいものを完成させたいという思いが、一つ一つのページの思いから全体のものまで毎月の「for FUN」の完成時に感じられます。毎月〆切、入稿、完成の流れが速いのは、どの出版社にも負けることはないでしょう。みんなが一つにまとまっているからだと思います。

僕が始めて「for FUN」を手にしたときは、表紙は白黒でした。しかもA4サイズだったため、今よりもちょっと大きめのサイズでした。初めて手に取ったときは、この雑誌がどんな風に作られているなんて考えもしませんでした。

しかし、当時と変わらず「for FUN」は、出版や物書きに興味がないという人でも楽しく雑誌作りができるところが魅力的です。
素人の僕でもイラストレーターを覚えてからは、雑誌や広告のレイアウトを観察するようになりました。「おっ、このデザインはいいな!」と思ったら、すぐにまねして作っていました。また、写真を見ると、このアングルを撮れたらいいなと思ったり、「このデジタル写真は多分、容量が重いなだろうな」と編集のつられを密かに感じたりもしていました。文字を見れば、これは確か○○のフォントかなとも思うようにもなりました。

色々な思いを込めながら、毎月の入稿に携わると、面白いことに、みんなの技術も成長していっているのが一目で分かるのが楽しいです。
このデザインはどうやって作ったのか?こんな表現はうまいな!と感じることばかりです。

昨日は、それぞれの原稿のページをぱらぱらと見ていましたが、みなさんの技術はものすごく早く伸びていると感じます。いつかはオールカラーの姿で「for FUN」を見たいですね!現実することを願いながら、これからの毎月の大イベントである発刊日を楽しみにしています。


97
「書くこと」
今年の3月14日から始めたブログ。半年経って書いた回数は82回。82回/200日(今年7月20日まで)だ。今年の目標は「続ける」ことだったが、半年経ってようやくブログを書くことについて慣れてきたように思う。内容は、まだまだなんだが…。

今日会ったお客さんにも「書く」ことが苦手で、悩んでいる方がいた。すらすらと話せる人がいるように、すらすらと書くことができたらどんなにいいだろうかと言う。
自分の思いはある。書く内容も決まっている。しかし、紙と鉛筆を準備すると、書けない。なぜこんな現象が起こるのか不思議に感じるのだが、僕にもよくあることなので、無視することはできない。

このブログを読んでくださる方で、読んだ感想を携帯メールで送ってくれる人がいるが、その方は、ブログのコメント欄に書くことが少し抵抗あるという。ブログを書いたり、またはコメントを書いたりすると、誰が読んでいるか分からない。そのため内容をしっかりしたものにしないといけないと肩に力が入ってしまう。
僕もそうだが、書くことに悩んでいる人が一番ストレスと感じるところは、多分、「この文章を読んだ人は、どう思うだろうか」ということだと思う。

「こんな文章を書いたら、笑われるのではないか」「こんな文章で相手は理解してくれるだろうか」と。

この考えにはまってしまうと、もう書くことが億劫となり、あれこれ考えることの方に時間を取られてしまい、なかなか先に進むことができない。

サークルで習った面接塾やスピーチ塾の内容であったが、よく面接やスピーチ者が緊張してしまう原因としては、「こんな自分の話でいいのだろうか」「相手にちゃんと伝わったのだろうか」と心配することがある。しかし、面接であってもスピーチであっても、聞き手は、その人の話を聞きたいと思って集まった人なのである。相手は、望んで聞きに来てくれている。相手に伝わったかどうかは、理解力にもよるだろうし、分からなければ後で質問をしてくるだけだ。人前に立つことや慣れていないことは緊張するかもしれないが、「こんな自分の話でいいのだろうか」「相手にちゃんと伝わったのだろうか」で悩んでいても先に進まない。

これと同じで、「書く」ということも「どう思われるか」「ちゃんと伝わる文章か」ということばかり気にしていても、先には進まない。ブログにしても、読んでくれる人は、書く人がどんな考えを持っているかを知りたくて読んでくれている。書いている人の欠点を探しにわざわざブログを読む人なんていない。

そう考えるようになってから、僕も吹っ切れて、少しずつ書けるようになっていった。漢字の間違いや表現のニュアンスがおかしいことは、まだまだあるようだが、それも僕という人間を知りたいと思う人や高めたいという人から指摘を受けるので、ありがたく思っている。書くことは、体力勝負と感じていたころから、今では少しずつ習慣となってきた。苦手なことも、意識を持って続けていけば、克服できるのだ。書くことの苦手意識は、書くという行為で改善できる。
習慣となってきた今、これからは漢字の間違いを減らし、日本語らしい表現で文章をかくことを目的としていこう!

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「自分の哲学」
僕のお客さんであるデザインの専門学校の校長先生にお会いに行ってきました。
デザインという言葉はよく使われていますが、その意味を説明できる人はなかなかいません?
みなさんはどんな答えをしますか?
芸術?アート?きれいなもの?…。ちょっと、言葉にしにくいですよね。
僕なら、デザインという言葉を聞くと、家具や建築物、洋服などをイメージすることはできるのですが、それを説明することは、ちょっと難しいように感じます。

先生は、三菱電機を経て現在の専門学校の校長に就任しています。今までの分野とは全く畑違いの「デザイン」という分野に足を運びいれたとき、実は相当悩んだそうです。生徒を見ても、作品を見ても、いつも何かが足りないと感じていて、それが何なのかはっきりしなかったそうです。

それが、「デザイン」という概念の違いだったそうです。

デザインがなんであるかということを生徒や先生達に聞いても、バラバラな答えしか返ってこなかったそうです。当然、みんなの力も一つにまとまることができずにいました。

そこで、校長先生が考え出したのが、デザインという考え方の統一でした。デザイン関係の本を読んだり、有名な先生に会ったりして、デザインという概念を作りあげました。辿り着いたデザインの意味が、下の言葉です。

「デザインとは、人―社会―自然のバランスを保ち、3つの関係を調和させること」

でした。この3つというのは、自分たちの身の周りにあるものばかりであるし、どれか一つが欠けてもいけない。デザインという言葉からは想像もつかないが、先生は、この3つを保つような要素を持った作品がデザインであると話されます。

こうした考え方で生徒を育て上げていくと、今では海外でも賞を取る生徒が増えてきたそうです。1つの考えに生徒も学校も取り組んでいく姿勢ができてきたと話します。

これは、1つの哲学ですね。

だから、デザインというものは、決して僕たちから全く関係のないものではないし、日常生活を歩む上で、とても身近なものばかりなんですね。

さて、みなさんには、なにか自分の哲学、もしくは1つのことに対する考え方を持っていますか?それは、大事なことだと思います。この校長先生のように、生徒との距離を縮めるためにも、ある考えを伝えるためにも、一つの言葉で表現することはとても大切なことです。

それは、一つの目標にもなるからです。自分の考えを改めてじっくり考える参考になりました。

99
「本物から感動へ」
「科学技術が進歩したおかげで、私たちは日頃から本物ソックリのコピーとは数多く接している。そうしてその結果、まるで本物を鑑賞したような錯覚に陥ってしまうことが多いものである。だが、本物は、この世界中で唯一しか存在しないものなのだ。コピーでは、こうしたものまで本物そっくりとはいかない。」「知的文章の書き方」(著:石川弘義 徳間書店)

最近は「本物」という言葉すら聞かなかったように思う。この文章を読んで、本物を鑑賞し、感動したのはいつかと振り返って考えてみたが特に思い出せない。心が動くとことはあっても、それが記憶にまで残っていないのだろう。そして、ずっと心の奥の記憶をたどると、中学時代の旅行があった。それは、受験勉強の最中、勉強が嫌になって、仲のよかった勉強のできる秀才くんと2人で熊本まで旅行に行ったときのことだ。なぜ、熊本か、大した理由はなかったが、ただ自分のこの現状からどこかに行きたいと思っただけだった。

熊本がどんな歴史があるのか分からないし、どんな観光地があるかも分からない。ただ、1つ本物だと感じて感動したものは、「熊本城の石垣」だ。小学校の先生で歴史が好きな先生がいた。その先生は、旅行をするとき必ず城の石垣を見るという。その意味が分かったように思った。

下から見上げる高さは天井に伸びていく感じがあった。石1つ1つの大きさは人が簡単に持ち運びできるものではない。きれいな曲線を描く石垣は、人が作ったとは思えない。20メートルあるビルの高さと城の高さでは、存在感が違っていた。(今調べて見ると、「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く清正流石垣として有名らしい)

石垣



どんな思いで作ったのだろう、敵を意識してか、美を求めてか。迫力があり雄大さを感じる石垣の存在感に驚いた。石という冷たいものが、意思を持って何百年も存在している「かっこよさ」のようなものがあるように感じた。必死に守り生きているように、石が語りかけてくるようにも思えた。さらに、石垣の上に上ると、「大広間」というところに行く。周囲を見渡して、さらに驚いた。そこはなんと、高さ20メートルある石垣なのに、柵がされていなかった。強い風でも吹かれようものなら、人は落ちるだろうし、そんなときは命が無い。柵がされていないため、ギリギリまで下を覗き込むことができるのだが、その曲線を描く石垣からは、垂直に落ちるのではと思うくらいすごかった。

なににそんなに感動したのかというと、それは、現在の世の中「危険だから」とドアにカギ、バイクや自転車にはカギは2つ以上、監視カメラやセキュリティシステム、オートロック…。どうしても、息苦しくなる環境があると感じる。守りに守られて、自由に行動できる場がないように感じる。

その中で、この城の特に危険な場所に柵が設置されなかったことは、当時の状況をそのまま再現するためのものかもしれないが、その石垣の状況が僕には大きな感動を得た。芸術といったものではないだろう。でも、心の中に大きな存在として、今でも心に大きく残っている。

「自分もこうした人間になりたい」と思った。

「感動」とは、心動かされることをいう。自分の心が素直でなければならない。だから、感動すること自体が自分自身だ。感動しようと思っても動くものではないし、理論的に感動するプロセスを作れるものでもない。
石垣の存在とその存在を自然のままそのしている環境、この2つはどちらも人間が作りだしたから、なんともいえない気持ちになった。石垣が有名であることは、30分前にネットで知った。しかし、その当時感じた感動は、今でも蘇ってくる。情報で感動することは無いし、写真を見て当時の感動と同じものが作られることはない。

「本物は、この世界中で唯一しか存在しない。コピーでは、こうした本物にまでは近づけない。」

その通りだと思う。よく取材をしていて、社長さんから言われることが、「何でもいいから本物に会っておきなさい」であった。本物の文章、本物の言葉、本物の気持ち、それらには、僕は毎日でも会っていると思う。が、気付いていないことが多いのだろう。心動かされることがあっても、すぐ忘れてしまうこともある。忘れるということは、その感動が小さかったためか、僕の心が素直でなかったためなのだ。もっと、大きな心で物事を捕らえられる人間と、感動したことを「言葉で」説明ができる人間になっていきたいと思う。本物から感動することは、心の栄養となる第一歩だ。

また100から出直しだ!

100
「長かった」
本

「かもめが翔んだ日」(著:江副浩正 発売:朝日新聞社)

2年前の夏、FUNビジネスカフェで始まったのが、「先駆者に学ぼう!」スペシャル全8回だった。開始されたのが7月からだったので、ちょうど2年前の今ころだった。

この勉強会では、様々な業界の創業者の物語を紹介していくもの。1講義にだいたい1〜2人を紹介。その人の幼少の頃、時代背景、貧乏な下積み時代、一つのアイデア着想から事業を興し、大きな産業を作り出していった人々たちの内容です。

日本最大の外食産業マクドナルドの創業藤田田さん、パソコンオタクが世界を変えたビルゲイツさん、主婦感覚のアイデアを大切にしたアート引越しセンター(現:アートコーポレーション)寺田千代さん、喫茶店のカレーから全国展開をしていった壱番屋宗次直美さん、信用をお金に変え一般庶民にも購買意欲を掻き立てた日本信販の創業山田光成さん…。

今もレジュメを見ただけで、心が熱くなるものばかりだ。僕が「創業物語」にどっぷりつかり、そういった本ばかりを読むようになったきっかけは、この2ヶ月間の講義があったからだ。下手な業界研究よりも、どうしたこの業界ができたのか、サービスに繋がるアイデアはどうやって生まれたのか、同じ業界のようにも見えるのになぜこの会社は人気があるのか、こうしたことを一つの業界からでも学んでいくと、その知識はどんどん広がっていき、現在を見る眼が変わってくる。

その中でももっともすごいなと思う人だなと思ったのが、求人広告を作ったリクルートの創業者江副浩正さんだ。潰れかけた学生新聞を「就職情報」というアイデアを武器に商品化して立て直していき、27歳でリクルートを設立。現在は、出版、広告、不動産、コンサルティング業などの分野を持つ大企業へとなっていった。

この江副さんのどこがすごいと感じたのか?それは、社員をどんどん成長させるところだ。

「自己申告による社内転職制度」に加え、やりたい事業は自ら責任者となって役員陣を説得すれば、いくらでも挑戦できる社風、死点や営業所を独立事業体と見なし、個別に決算を開示して競わせるシステム…。
さらに、男女雇用機会均等法が施行されるずっと以前から、女性の長所を見抜き、積極的に採用していった。
そして、業績が上がらずに困っている若者がいれば、「おい、みんな!こいつを男にしてやろやないか!」社員全員で一人の男を応援する社風も作っていった。

事業の先見性から会社内のシステム作り、アイデアの着想から社員教育、…、なにもかもがすごいと鳥肌が立つような思いだった。こんな人になりたい、そう思った。やる気を最大限に引き出す社風を今でも維持し続けているということも、他社では真似できないことだろう。

この講義で紹介されていたのが、江副さんの自伝「かもめが翔んだ日」だったのだ。
講義終了後この本を読みたいと思ったが、もうすでに絶版で普通の本屋さんでは売っていない。あちこちのBOOK OFFや本屋さんで探すも見つからない。何度も何度も探しまくった。

探している最中、頭の中は、
「かもめが翔んだ日、かもめが翔ん、かもめが、かもめ、かもめ、かもめ、かもめ…、」

『かもめ…』(タイトル)

「あっ!、あった!!」と喜びの声を挙げるも、よくタイトルを見ると、

「かもめの叫び」であったり、「かもめのジョナサン」であったりと、

全く違うものばかりが目に入ってしまい、見つからない。

眼がおかしくなって、「かもめ」と書いてあったら、なんでも反応してしまうようになってしまっていた…。
終いには、「居酒屋かもめ唄」という訳のわからんものにまで、すばやく手が出てしまった自分が悲しかった。

そうこうする中、昨日空港近くの「ほんだらけ」でようやく見つけもらった。長かった、2年間長かったが、ようやくこの本が手に入った。800円少々高かったものの、買うしかないと他の本を蹴って、購入した。なんか読むことより手に入ったことに満足してしまっているのが、いけないところだが、頑張って読むことにしよう。

見つけて頂きありがとうございます。

100
「日本人に大切なもの」
『日本人にかえれ』(出光佐三/ダイヤモンド社/1971)

石油の会社「出光」を創業された出光佐三さんの本で、「卒業証明書を捨てよ」の章を読書会で読みました。入社式の挨拶で話された内容が本になったものです。当時85歳の時に話された内容だったので、本当にエネルギッシュな人だったということが伝わってきます。

「今の日本は、○○だ、今の日本人は○○だな」という声は、よく聞きます。今日も国際政治の立場から、日本は○○しなければならないということをよく聞かれます。その中で今回、この本を読んで感じたことは、難しいことを並べたり考えたりして、批判や愚痴を言うではなく、「何かに向かって、みんなで一緒に切磋琢磨する姿勢」がこの国では欠けているのではないか、ということです。

出光で大切にしていることの指針として、「出光には、人間をつくることが事業であって、石油業はその手段である」とあるそうですが、これは、松下電器の松下幸之助さんと同じことを言っているからびっくりしました。人をとても大事に考え、そして、育てていくという姿勢が両社にはあります。
出光では、解雇・退職・出勤簿がないそうです。それは、人の可能性をどんどん引き出して、よい仕事をしてもらおうとする考えから、必要がないと考えたためです。

そのため、時間外手当を出さなくても、仕事の時間が過ぎた社員が楽しんで仕事をしているそうです。その人自身がどんどん成長し、その周囲の人も巻き込んでよい環境を作っていく。そうすることで、おのずと一つの仕事からでも社会貢献が生まれ、よい循環が起こっている会社だと感じます。

さらに、「人間が真に働けば、こういう大きな力を発揮する。そして、一人一人が強くなり、一致団結して、和の力を発揮したときには少数の人でも、こんな大きな力があらわれるのだということをあらわして国家社会に示唆を与える」とあります。障害者雇用でも、積極的に取り入れており、働く能力があればどんな人でも、適材適所に仕事をする環境を作るのが出光。そう考えると、本当に石油の会社ではなく、人間を育てる会社だなと思わずにはいられません。

出光さんのすごいと思うところには、出光という今では大きな会社が、設立当初従業員50人からでも、今と変わらず同じことを出光さんが話しているということ。これは、成長していないということではなく、当初もっていた気持ちを守り続けているということがすごいなと思います。戦後、会社設立当初からずっと言い続けたことが「青年への期待」です。

この章の中で、一番好きだった言葉が、「小さなことをやらなければ、大きいこともやれないということ」だ。上にも書いた「当初からの気持ち」を忘れて、ついつい人というのは、基本よりも応用編に眼がいってしまいます。小さいことよりも大きなことをしたがります。しかし、基礎がない人間が、応用はできませんし、大きなことだけできることもありません。

最後に、この章を読んで日本人とは本当にすばらしい民族だと感じました。国がどうのこうのとか、景気がどうのこうのではなく、昔の日本人がどんなことを大切にしてきたのか、外国人が真似できない日本人像というものがあるのだと感じます。自分たちの足元からよくしていけば必ず、未来は開けてくると思います。出光とは、そうした環境作りができた最高の組織のように思います。
「物の値段」
買い物をするとき、必ずお金を持っていく。それは、お金を持っていかないと商品が買えないからである。

チョコレート150円、アイス100円、ガム50円…

物には、当たり前のように値段がついている。例えば、チョコレートも150円の中には、カカオの値段や包装紙、運賃、人件費などが含まれている。これが適正な商品の値段となって店頭に並べられている。

しかし、消費者の私たちは、棚に並べてある価格の裏付けを普段考えることはない。
あっ、150円なんだ! これ、100円なんだ…、と箱の大きさや重さという見た目や手に持った感覚で安い高いを判断することが多いのが僕だ。

よく「物の値段とは、その物の価値を表している」という。
価値とは、「ある事物について、役に立つ、重要であると認められる特質。また、その程度。値打ち。」(国語辞典)とある。

そう考えると、価値とは、一つの可能性であるというように考えていい。

チョコレートだって、お腹が空いたという問題を解決してくれるし、栄養分だって充分満たしてくれる。ジュースだって同じだ。そうした問題と解決してくれる可能性を含んでいるのが、チョコレートやジュースなどの商品の値段なのだと思う。

古いものがちょっとしたインテリアになっているが、レトロと表現すれば、その価値は上がる。逆に、ボロと表現すれば、その価値は下がり、ゴミとなっていく。物の価値が下がったということは、それだけの使う可能性が無いと判断したために、下がったのだ。

しかし、ここで考えなければならないことは、お客様の存在だ。ただ、安くすればいい、高くすればいいというのでは、なんの価値も生まれてこない。本当のよい価値の付け方は、必要とする人と物の可能性が一致するとき、その商品の価値の裏付けがされる価格設定だと思う。

と、ここまで書いてみたものの、んっ〜、なんか自分でもよく分からなくなった…。
100円と値札が貼っていたら、それだけで、「100円なんだ」としか思わない。でも、100円という値段を付けるにはきちんとした裏付けがあって100円になっているはずだ。
値段を付けるとは、そう簡単にできることではないように思う。
んっ〜、難しい。

93

「提案」
昨日は、かなり暑かったですね!
とうとう夏用のネクタイを1本購入した。


昨日は、ある写真屋さんに商品の提案をしに行った。
「こういった物を作ってみてはどうですか?」と。
でも、「あっ、それはね、以前やったことあるよ」と一言。
またしても、力およばず撃沈した。前日から、この提案は受けるだろうと密かにワクワクしながらいたのだから、力が抜け落ちたようになってしまった。

でも、その後、色々とお話を伺うことができて、倍の勉強ができた。

アイデアなんていうものは、そう簡単に出てくるものではない。特に会社やお店を経営されている人にとっては、もう何十年とその道にいらっしゃるのだから、ちょっとした思い付きというものは、もうすでに経験されていることが多いというものだ。

モーツァルトが「魔笛」のメロディを思いついたのは、玉突きをしていたときだという話がある。数学者のポアンカレ―は、馬車の踏み台に足を掛けたり、道路を横切っているときに新しい発想が浮かんだと述べ、蒸気機関の改良で有名なワットは、ゴルフのクラブハウスに行く途中、歩きながらアイデアをつかんだ、といられている。(「知的想像のヒント」外山滋比古著、講談社)

しかし、こうした人たちとは、常にどうしたらこの問題が解けるのか、もっと効率を上げるには、どうしたらいいのかを考え続けている人なのだ。

「アイデアとは、苦し紛れの知恵のことさ」とある経営者が言ったそうであるが、確かに、今まで読んだ創業物語や社長の話には、業績が伸びているよりも、苦しい時こそ、アイデアが出ていた。
本当は、アイデアがポンと出ていたのではなく、苦しい時でも逃げずに考え続けたからこそ、辿り着いた結果なのだと思う。

そこには、アイデアよりも忍耐があるように思う。

これからもお客さんから勉強していこう!
さて、今日もワクワクしながら、お客さんへ提案しに行こう!

94
「読書とは、」
みなさんは、本を読むことは好きですか?普段どんな本を読んでいますか?

読み終わった後、どんな気持ちになりますか?

最近、本を読む『感覚』が変わってきたように思います。
僕は、どちらかというと読む速さが遅いため、人よりも結構体力を使う。そのため、「読書=体力勝負」と考えてきたところがある。

そのため、以前は「読み終わる」ことを一つの目標としていた。もちろん、何かを読み取って自分のものとしたいとは思っていたが、読み終わると内容をあまり覚えていない、誰かと話をすると、「あ、なんかどこかで聞いたような…」としか思い出さなかった。

僕の好きな創業物語だってそうだ。
「○○さんってすごいな!」「○○会社って、こうして大きくなったんだ!」と感動していた。その先は、『知識として持つこと』『誰かと話題にすること』しか考えていなかったように思う。

でも、今はそうではない。「すごいな〜」「へぇ〜、こんなことがあったのか」で、感心している場合ではなくなったのだ。では、どう感覚が変わってきたのか?

「知的文章の書き方」(著:石川弘義 徳間書店)
「(文章を書くことについて)初めから、妙に身がまえたり、他人の眼を意識してスタイルに凝ったりしたのでは、決して長続きはしないものなのだ。」

という文章があった。
この文章は、前後あるので、この文章だけを読まれても、ピンとこないかもしれない。しかし、この文章を読んで、あなたは何を感じ取ったでしょうか?

学生時代までの僕であれば、間違いなく流して読んでいた部分だ。特に意識することもなかったはずだ。「そうそう、他人の眼なんか気にすることないよ〜」で終わっていただろうし、気にすることなんかなかっただろう。

でも、実際にブログを書き始めた頃の僕は、こうした意識は強かった。

なにを書いたらいいのか、こんなこと書いたらどう思われるか、くだらん内容ばかりじゃないかと考えていた。紙に書いてからブログにアップするまでに5時間かかったこともあったし、結局アップせずに時間が過ぎたこともあった。

こうした経験と今自分が独立をしていることからさっきの文章を読むと、「他人の眼」を理由にしていた自分がいるし、それで逃げていた部分もある。つまり、「自分の甘さ」「逃げ」を他人のせいにしていることが、この文章から読み取れるのだ。

「本を読む」とは、読むことが目的ではないし、読み終わることが目標でもない。

本とは、僕達に語り掛けているのだ。「それでいいのか」「ここには、君にとって大きなヒントが隠されているよ」と、訴えかけてくれているものではないかと思う。

ある本では、「本とは、著者から読者へ思想のプレゼント」というようなことも書かれてあった。著者の経験なり考えから何かを受け取らなければならないものなのだ。本を読み終わって、「面白かった」や「すごかった」の感想で終わっては、少しもの寂しいし気もする。

よく高校の数学の先生が話していた。「この問題を解く前と後では、どう自分が成長しているか考えろ」や「授業時間の始まりと終わりでは、どう自分が変わったか考えろ」と。

本でも、自分をどう変えるか、どう成長させるか、という危機せまるものがないといけないと思う。「ただ面白かった」だけでは、何も変化していないのではないだろうか。本とは生き物のようなもので、読んだ時期や年齢で、内容が変わっている。しかし、本の内容が変わることは物理的にはない。読者が変わったから、感じ取る力が変化していったのだ。

今後、自分が少しでも成長するためにどう読み取っていかなければならないか?さらに、行動にまで移せたか?これは、僕にとっての緊急の課題である。

人間は、どんな失敗からでもものごとを学びとれるように、どんな本からでも学びとれると思う。その専門書だけを制覇するだけではなく、別の視点から学び取れると考えて、関連性のない本からでも、読み取っていける力をこれから付けていかなければいけないと思う。

読者とは、少し差し迫るものがあるように最近は思うのである。

95
「ニーズのある時期、ない時期」
昨日は、雨が降ったり止んだりで大変な一日でしたね。僕は、雨自体は嫌いではないものの、移動がバイクのためいつもカッパを着るので、やっかいだなと感じています。

いつもお世話になっている中古車バイク屋に行ってきました。僕の家から5分と近いので、2週間に一回はお邪魔をしているところです。

ここのお店は、他店よりもかなり安く売られていて、しかもメンテナンスもしっかりしてくれるので、バイク暦の長い僕にとってはありがたい存在です。

色々とお話を伺うと、普段考えなかったようなことが分かってきます。

以前引越し屋さんのことを書いたように、バイクにも売れる時期とそうでない時期があります。バイクに乗るシーズンといえば、春と夏が主。「今度バイクでも乗ろうかな!」や「買い換えようかな!」と思っている人は、大体2月〜4月、6月〜8月が多いとのこと。

年中バイクに乗っている僕には気付きもしませんでしたが、そういえば「冬にバイクを買って乗る人はいない」と感心してしまいました。
また、同じ商品を扱っている同業他社との告知も毎回同じ時期になってしまうので、その差別化をするのが難しいとのこと。

確かに、バイクだけでなく引越しもそうでしたが、その商品によっては、売れる時期とそうでない時期がはっきりするものもある。逆に考えれば、毎年コンスタントに売れる商品というのは、家庭の日用品くらいではないかと思う。

売れる時期とそうでない時期と波がある。売れる時期は、ほっといても売れるそうだが、そうでない時にどうするかが問題だ。

創業の本を読んでいると、こうした時期は必ずあった。年間を通して、売れない時期よりも、売れない期間というものがあった。しかし、そこで売れるまで待つ姿勢ではなく、どうしたら売れるか、またはそうした時期にどのようなものを売ったらいいか、どうサービスを変えていったらよいのかを必死になって考えていた。そうすることで、大成功を収めた人たちがたくさんいた。

バイク屋や引越し屋のように、商品によっては、年間を通してニーズのある時期とそうでない時期がある。ニーズのない時にどう、対応していくかが、次の売れる時期の波を作っているのではないかと思う。

今まで、あまり考えることがなかった、「ニーズのない時期」にどうしたらよいか、考えてみよう。


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「営業塾」
誰でも「拒絶」というものは、味わいたくないものである。
心に大きな傷ができるし、相手が人なら、もう会いたくないと思うものだ。

しかし、昨日の営業塾では、拒絶はチャンスだという。

拒絶なんて避けたいものなのに、それがチャンスになるというのだから、ビックリした。
よくビジネス書では、「営業とは、断られてからが始まり」だとある。確かによく断られる。

「今忙しいから」「お金が無いから」「関係ないかな」…

こんなことはよく言われることだ。
なぜ、忙しいのか、お金が無いのかという原因を考えたことは無かった。そのため、おずおずと引き返してきたこともあった。自分の思いや商品の魅力なんかを口で伝えることばかり考えていた。それでは、相手の時間を取るし、頭の中で整理もできないだろう。多分、誰が来たのかも数日後は忘れているだろう。

しかし、これで諦めてはいけない。今日の「営業塾」では、目が覚める思いがした。
自分が今まで拒絶感を感じていたものは、自分がそう感じる思考パターンになっていたことと、さらに受け止め方もマイナスに考えていたことから発生したものだと分かった。

やろうと思えば、いくらでもできることを、考えようとしていなかった。お客さんがどうしてくれたら喜んでくれるだろうか、どういった点に困っているのだろうか、というきめ細やかな点から考えていくのが大切なのだ。

実際学生さんの「for FUN」の模擬営業を見ていて思ったことがある。それは、なんとかして相手のメリットになることを一生懸命考えているところだ。ただの商品のよさを羅列するのではなく、相手の話を聞き、相手が自慢したくなるような話を引き出そうと必死になっていた。どんなところに思いが込められ商品が作られているのか、こだわりや創業時のことまで聞いてきた人もいた。

模擬営業ではあっても、聞かれて嫌な気持ちには決してならない。何をするにも、やはり相手のことを考えた発言なり行動をしていかなければいけない。3分というちょっとした時間の会話でもたくさんのことが学べた。

今日は週始めの月曜日、また今日から出発だ!



97
「引越し」
昨日から、おばの引っ越しの手伝いに行っていました。

引っ越しを経験したことなかったからよく分からなかったのですが、家や部屋の見た目よりも随分荷物が出てくるんですね!台所の皿一枚一枚をダンボールに詰めることからし、タンスや着物、冷蔵庫の大きなもの、靴一足まで運び出し、十トン車に積み込みます。天気もよく順調に進んで、無事作業も終わりました。

引っ越しというと、以前サークルで勉強した「アート引越しセンター」の創業の物語を思い出します。
当時、引越し専業の会社など存在せず、大半が建築運搬業者が請け負ったり、知人からトラックを借りたりして引っ越しをしていたそうです。そのため、適正な価格というものがない分、引っ越しの費用も相当かかっていたそうです。そうした現状を知り、持田夫婦が、それならばと引っ越し専門の会社「アート引っ越しセンター」を作ったのが始まりだそうです。

今では、大型車以外にも、一人暮らし専門の引越しとして軽トラックを使用する会社や、夜逃げ専門の引っ越しもあるくらいです。それだけ、引っ越しの業務にも多岐にわたっているんでしょう。

引っ越しのピークはやはり2月〜4月が主。そかにも社会人から人事異動などで9月〜10月にも多いそうですが、やはり波があるそうです。多いときには、1日に3件回る日もあれば、仕事が無い日もあるそうです。仕事がない日はお休みという訳にもいきませんから、他の運搬の仕事をしたり、またはビラのポスティング業務を請け負ったりしているところもあるそうです。

引っ越し暦20年という人とお話をしたことがあるのですが、各家なりマンションの部屋やお客さんの対応を見ていると、その人の育った環境や性格がすぐにわかるそうです。

整理整頓やお手伝いする頻度、言葉使いなどが違ってくるそうで、それらは全て親のしつけが行き届いていたかどうかだといいます。つまり、引越し屋さんは荷物の詰み込みと新居に荷を降ろす数時間しかお客さんと関わっていませんが、それでもその人の受けてきた家庭環境や教育が大体わかるというのです。なんかすごいですね。

こんなこと書くと、引越し業者に頼みたくなくなるかもしれませんが。

僕も以前引越しの荷物運びのアルバイトをしたことがあるから分かるのですが、なかなか大変な仕事です。冷蔵庫や洗濯機、大きなタンスは大敵です。さらにエレベーターがなく階段の上り下りがあるとなると、引っ越し終了後は、スポーツをした後のようにヘトヘトになりました。
久しぶりにそうした作業をしてきました。

おばが、無事新居に着け、そしてよい暮らしができることを楽しみにしています。

98
「小さな気付き」
深夜BOOK OFFの帰り道、いつもの通りをバイクで帰っていると、ふと道路の中央に黒い物体を発見。石ころのようだったのですが、なんとなく気になって見に行くと、それはカブト虫でした。

久しぶりです。昆虫自体最近はあまり見かけていなかったように思うし、捕まえることなんて子どものとき以来でしたので、子どもに戻ったように嬉しくなりました。

「おぉ〜、本物のカブト虫だぁ!」

と感じたのが最初の感想です。今では悲しいことに、売り物として「商品化」されているのがカブト虫やらクワガタです。なので、こうして見つけることができたことに、本当に嬉しくおもいました。

そのため、家に持ち帰って来てしまいました(上写真)。家にあったハチミツをおいしそうに食べていたんですが、夜中ずっとゴソゴソとうるさいので、とうとう先ほど逃がしました。

子どものころは、捕まえようと必死になっていたのですが、虫の方が夜行性なのでなかなか自分で見つけ出すことができませんでした。当時今日のように見つけていたらどんなに嬉しかっただろうなと思います。しかし今では、その頃の見つけた感動のようなものはあまりありません。見つけた嬉しさはあっても、見慣れているのか珍しいと感じないのか、どことなく冷めもてしまっていました…。


カブト虫の話とは全然関係ありませんが、僕は以前から、学生情報誌「for FUN」の関係で、福岡市内のフリーペーパーを集めることが日課になっていました。どこになにが置いてあるかも把握していましたし、出版社別でコンセプトの違いもなんとなく比較して違いを勉強していました。

そこで面白いのが、広告の紙面です。同じ広告主にも関わらず、A社とB社では、その訴え方が全然違ってきます。その紙面に合わせて作っているからなんですねが。

そこで昨日は、以前「あなたの会社が90日で儲かる」(神田昌典/フォレスト社)を読んでいたことを思い出し、ふと新聞に入っている折込チラシが気になり、調べて見ることにしました。
3〜4日分の広告を取り出し、仕分けしてみました。広告は、飲食、アパレル、不動産、電化製品、健康食品、ダイエット関係、アミューズメント…、などで大体12種類に分けられます。

すると、面白いことに気付きます。

広告に使用されている用紙です。大きく分けて6種類くらいあるのが分かります。つるつるしたものから、ちょっと硬めの紙、粗目のもの、またそれらを分けると6種類くらいになります。

・つるつるした用紙には、写真写りがいいものとして、旅行、飲食、美容関係のものが多く取り上げられている。

・硬めの紙は、返信用のはがきが付いていたり、信用性を高める内容の文章が書かれてあったりします。特に、通販のものがこの手の紙を扱っているようです。

・そして今回面白いなと思ったのは、粗目の用紙です。2色吊りで目が粗い用紙なので、写真の効果はありません。そのため、この用紙を使った広告の内容の共通点は、文章で説明しているものが多いということ。また、会社や商品のイメージを膨らましてもらおうと、手書きのイラストやコラムまで書いてあります。上の2つの用紙と比べると、写真はないし紙は薄くてすぐ破れそうだし2色しか使用していないので安っぽく見えるのですが、なぜか「温かみ」のようなものを感じました。もしかすると、上の2つと比べて劣らないようにと、色々と工夫されているのがこの粗目の用紙にはあるようにも感じます。

普段目にしている新聞折込チラシ。じっくりと研究してみると面白いのではないかと思います。普段何気なく見ているものでも、何かと比較したりちょっと意識を集中させたりするだけでも違ったものの見方ができるものです。昨日家に持ち帰ったカブトムシもよく観察していると、ハチミツをなめているとき、小さく「キュー」という音が出ていました(本当です!)。

普段何気なく過している環境でも、自分が意識していれば、見えてくる情報も全く違ってきます。小さな発見が大きな成功になるかもしれません。普段から持っておきたい小さな意識ですね!


99

「恩師のことば」
つい最近、舞鶴にある平和台陸上競技場に通りかかったので、ふと足を運んでみた。久しぶりに競技場に入ったので、ワクワクする感じと芝生の臭いとで、中学の陸上選手時代を思い出しました。当時から結構孤独な人間だったので、試合前だんだん緊張が高まってくると、一人で競技場の周囲をうろちょろしたり誰もいない木陰のところを探してはイメージトレーニングをしたりしていました。なので、周囲のことは結構詳しいつもりです。
そんな中学時代のことを思い出しながら応援席に立つと、そこには自分の中学時代の体育の恩師がいらっしゃいました。これにはちょっとびっくりしました。久しぶりにその顔を見ましたが、その様子は十年以上たった今でも全く変わっていません。
県内でも一番厳しい先生で、悪そうな生徒からは恐れられている存在でしたが、誉めるときはとことん誉める先生だったので、多くの生徒や先生から慕われた存在でした。
現在は別の中学の教師をしているらしく、また練習中だったので、声をかけることはしませんでしたが、自分の陸上部時代、「常にアンテナを高く持て」との言葉は忘れることができません。
走っている途中、ちょっと自分を甘くして限界まで走りこまなかったり、目標を小さく持ったりしたときには、厳しく言われていた言葉です。

また、言葉について思い出すのが、高校の卒業式の時、「自分の意志を貫け」と卒業アルバムの裏に書いてくれた、2年間一緒に過した数学の先生の存在です。周囲のみんなが就職や大学進学といっている中、1人だけ浪人の道を選んだため、先生は上の言葉を選んで書いてくれました。
今では、全くといっていいほど数学の問題を解く力はありませんが、当時は面白いと感じていた教科の1つでした。特にベクトルや関数は、何度も何度も解いていた記憶があります。
当時は、試験勉強のために覚えたり解いていたりしていた数式ですが、今になって気付くことは、1つの答えを導き出すだけでなく、その過程にたどり着くための考え方の大切さです。数学の答えを出すための手段は、1つではないということです。
それは人生にとっての大切な選択の仕方や生きる方法を学んでいたように思います。1つの答えを出すのに、どの公式が適切か?問題の意図は?と夢を達成するための手段はどれか、目的と適しているか、今足りないものはなにか、準備しないといけないものはなにか…と自分に問いかける考え方を学んでいたように思います。

「自助論―人生を最高に生きぬく知恵―」
著:サミュエル・スマイルズ  訳:竹内均
この本は、人生のあらゆる面での成功哲学が詰まっている1冊だと思う。自分が落ち込んでいるときでも順調に進んでいるときでも、この本に登場してくる多くの成功者の声を聞けば、自分を客観視でき自分を目指している方向へ導いてくれるだろう。
中でも、僕が好きな章の「すばらしい出会い―人生の師、人生の友、人生の書―」の一部に次のように書かれている。

宗教家トレンチは、スターリングについてこう回想している。
「彼の高貴な人柄とせっしていると、いくぶんか自分も気高くなったように思えるのです。彼と別れたあとはいつも、住み慣れた世界からもっと高い目標のある世界へと自分の心が引き上げられたように感じました」

人間は、常にどんなときでも学ぶことができる。トレンチは、スターリンから大きな影響を受け、生活面や考え方が変わっていった。人格教育の成否は、誰を模範にするかによって決まる。僕たちの人格も、周囲の人間の性格や態度、習慣、意見などによって無意識のうちに形づくられる。優れた人格者は、いつも周囲の人間に働きかける。そして、無意識のうちに高め合っているのだと思う。
僕も良き先生に恵まれてきたし、大学では、学内だけではなく、サークルの取材を通してからも多く学ぶことがあった。
いつかは僕も他人から目標とされる人間にならなければならない。それはつまり、他人によい影響を与える人間になるということ。中学や高校の恩師や社長さんから学んだように。

著者の中に、「真の雄弁は無言の実践の中にある」とある。

「自分の意志を貫け」とは、いつどんな時でも自分の意志を裏切るなということだ。中学や高校の恩師のように、言葉だけでなくそれなりの実践をもって指導して頂いたことには、それなりの強い意志があったからだ。だから僕もその影響を大きく受けて育ってきた。これからは僕のこれからの生き方が10年20年後の後輩を生み出すことになるようまず、自分が実践し自分を磨いていかなければならない。
たくさんの恩師に感謝することを忘れてはいけない。

100
失敗から学ぶこと
「私は、どうして販売外交に成功したか」
著:フランク・ベトガー(1960年) 訳:土屋健
ダイヤモンド社


毎週土曜日の朝に行われているビジネスカフェの読書会。昨日読んだ本は、「私は、どうして販売外交に成功したか」の「失敗は成功のもと」と「フランクリンの教訓」の2つの章だ。

「失敗は成功のもと」という言葉は、小さいときから何度も聞かされている。失敗を繰り返し、そこから学び得ながら成功するもの。しかし、私たちは、「失敗」をいう言葉を聞くとどうしてもマイナスのイメージしかなく、落ち込む原因となりがちだ。失敗をしたから、「よし、今日も失敗をしたぞ!」となかなか喜べないのが普通だ。

本書に登場してくる人物として、アメリカベースボール界で驚異的な人気を誇ったベーブ・ルース、日本人にも有名なアメリカ大統領エーブラハム・リンカーン、本書に登場するトップセールスマンという成功者たちが出てくる。彼らの共通点として挙げられることが、みな、失敗の数、悩みの数が多いというのがある。

ベーブ・ルースに関しては、三振の数が多く、リンカーンの青年時代は、借金を背負ったり選挙の落選を続けたりしている。又トップセールスマンでも、失敗を恐れ臆病になり、セールスが出来なくなったこともある。こうした人たちでも失敗や悩みがあったということは、今の私たちとそう変わりがないという思いをさせてくれる。なので、今失敗や悩みがあるからといって、将来を悲観するのはナンセンスなことなのである。

だからといって失敗や悩みがあるからといって、成功するわけでもない。彼らはそれに勝る努力をし、乗り越えようと練習や克服する考え方を鍛えたのである。やはり、成功者といわれる人たちとの違いは、才能やアイデアよりも、この努力が優れていたから、成功を掴んだのではないだろうか。

発明家のトーマス・エジソンは、失敗することで成功に近づいていると考えた。

ベーブ・ルースは、三振を失敗と考えないで、努力する数だと捉えて練習を続けた。

落ち込んだり、悲しんだりするのではなく、その失敗からなにが学べてどうすれば克服できるのかを考えて行動している。彼らにとって失敗とは、成功を導き出す要素になっているだけのことである。まさに、失敗は成功のもとだ。


本書の最後の章「フランクリンの教訓」は、ベンジャミン・フランクリンから失敗しないための項目が挙げられている。悲しいかな、私はフランリンのことを名前以外知らなかった。彼の偉大な功績は、自らの失敗をどう克服していくかを13の項目にまとめ、それを生涯実践し続けたところにある。

「フランクリンの13項目」のうち、私が毎日でも確認して意識しないといけないのが、まず この2つだろう。

決意―当然なすべきことは、あくまでもこれをなしとげる決意をすること。いったん決意したことは挫折しないこと。
勤勉―時間を空費しないこと。何事にせよ、常に有益なことに時を費やすこと。すべて不必要な行動は排除すること。

何も難しいことではない。普段の自分の意識と行動をちょっと変えることだけなのだ。著書の中にも、「フランクリンの13項目を知らない人に出会ったことはないが、これを実行した人には出会ったことがない」とある。世界中の人々が成功を望んではいるが、叶わない人が多く存在しているのには、こうしたちょっとした注意を普段の生活に生かせてないからではないかと思う。

最後の章に「私はあなたに直接いいたい、『あまりのんびりと構えていると、とんでもないことになるよ』と。」とある。この言葉にグサッときた。本を読んだり講演を聞いたりして、分かった分かったと理解している気になっても、時間が経てば忘れてしまうことは、私たちにはよくあることだ。そして、同じ失敗を繰り返してしまうことになる。これは、ひとつの危機感の欠如であり、克服する最大の目標を忘れてしまった時の行動だ。

分かったと出来たとは全く別の意味である。のんびり構えないためにも勇気をもって、今行動することが大事なのだ。失敗は成功の始まりであって、終わりではない。本当の失敗は、諦めた時にやってくるもの。分かった人間よりも、できる人間を目指して日々の努力を続けていかなければならない。そのためにも、前章の成功者達の例やフランクリンの項目から見習うのではなく、まず実践していからければなにも始まらない。多分、始まりは失敗の連続だろう。しかし、それは失敗ではなく、できる人間へのひとつひとつの階段に過ぎないのだ。

昨日から4回くらいは読んだのだが、身になっているところはまだないに等しい。なぜなら、実践に移しきれていないからである。失敗は、実践しないと生まれない産物。成功は、失敗をしないとたどりつかない。「フランクリンの13項目」のうち、決意と勤勉の2つは毎日確認事項としてチェックすることから始めよう。

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