クマモト日記
〜「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」(江副浩正・リクルート創業者)〜

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kumamoto

Author:kumamoto
性別:男性
誕生日:1979年5月24日
血液型:O型
出身地:福岡県

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「秋採用」
こんな言葉を知ったのは、ここ2ヶ月前くらいでしょうか?
往々にして、企業の採用活動は、3・4・5月に面接をして、5・6・7月に内定が決まるのが一般的です。しかし、企業によっては、獲得したかった人材や人数に達していなければ、再度募集をかけることがあります。つまり、これが秋採用で、だいたい8・9月頃に行います。

そして先週、ずっと準備してきた自社の「会社説明会」を実施しました。必要なものは、1からそろえ、場所や学生の管理、スケジュールの組み合わせなど準備をしてきて、なかなか大変なこともありましたが、ようやく無事に終りました。そして今週は、選考に残った人の「面接」がスタートしたところです。僕は、面接まではしませんが、合否の結果の連絡や資料の整理など、その前段階の準備まではしています。

面接をした人の話しによると、なかなか面白い話が聞けます。学生自身は、自分にしかないような体験や特徴を話してくれます。例えば、長所や就職活動で得たこと、学生生活で学んだことや、将来の夢…。その学生が自分のことについていうのは、誰よりも本人がよく分かっているし、他人からの文句などいいようがありません。ですが、こうしたことを何十人も聞いていくと、何となく、ある傾向のようなものがあるというのです。

自分の体験から学んだことや失敗したことなど、一生懸命に話しているのですが、なぜかそうした話は、他の学生にも同じような内容のことを話しているとのことです。大学も、住んでいる場所も、ましてや友達でもないのに…、話している本質は、似たり寄ったりになるのは、面白い現象です…。例えば、「なぜ、秋採用まで就職活動をしているのですか(秋まで就職活動をしていることが悪いといっているのではないのです)」という質問をした場合…、たいていの学生さんは、「自己分析が足りなかったから」と回答するのだそうです。「長所はなんですか」という質問になると得意に悠々とアルバイトの経験などを話すのに、「短所はなんですか」という質問にはあまり口を開かないそうです。「将来の夢はなんですか」というと、仕事とは全く関係ない趣味の延長上とも言える回答をする学生がいるそうです。別に面接の受かり方について話しているわけでもなく、またどれがいいとか悪いとかを話しているのでもないのですが、こうしたことを多くの割合の学生が話しているそうです。

「個性」を重視する世の中で、なぜにも学生は一色に染まってしまっているのでしょうか…。不思議なものです。何かこう、「自分は違う、自分は真似をしていない」と思っている学生ほど、そうした他の学生と同じ、または似たような意見をいっているように感じます。

こうした状況を踏まえて僕が感じたことがあります。その一つは、「こう聞かれたら、こう答えなさい」的な学生を指導している大学の進路指導の声が聞こえそうなこと。もう一つは、誰にも相談などしてこなかったがために、自分の考えばかりを押し通そうとする学生がいること。もちろん中には、自分の夢に妥協せず、また目標とする会社があるから諦めずがんばっている学生さんもいると思います。が、どうもこうした学生の似たり寄ったりの話しを聞くと、インフルエンザに犯された学生の苦しみのような違和感を感じてなりません。なんともいえませんが、何か世の中に異質な空気を発しているところから学生が出てきたような、そんな印象を感じています。それぞれの学生さんが学んできたことはたくさんあるだろうし、それを上手く使い切れない大学や教育機関への不信感が湧き起ってきました。まだ、選考は始まったばかりです。もう少し様子をみてから、また色々と報告をしていくことにいたしましょう。

さて、最近、夜空を見られた方は分かると思いますが、月がきれいに見えます。満月ではないですが、雲もさほどなくすっきりと見え、気持ちのよいものです。何か、風情だな、そう感じる夜の散歩道です。気持ちを新たに、今日も行ってきます。
「目標を小刻みに」
どうも最近集中力が鈍っているなと感じ、部屋の中で体操をしてみると、やはり体も鈍っていました。腕立て伏せのできる回数が、高校のときと比べて1/3になっていたのがショックでした。心も体も日々バランスよく鍛えないといけませんね!そう思って、先ほど大濠公園を走ってきました。ここ何日か三日月が綺麗でしたが、今日は雲もかかっており、あまり見えなかったのが残念でした。

さて、走りながら中学校の駅伝大会を思い出しました。何年前になるのでしょうか…、きっと数年前のことです。全く同じコースですが、今以上に整備はされていませんでした。僕は元々短距離走の人間ですが、部員数が少ないという理由でいつも借り出されていました。1周2キロを2回走るのです。つまり、4キロなんですが、同じところを2周走るのは、何ともきつく重い気持ちになります。

では、どういう風にしてこの4キロを走り抜いたかというと、ところどころで目安を定めて、そこまではこのスピードで走ろう、次もあの木までなら行けるだろうからこのまま走ろう、って心につぶやきながら走ったのです。だらだらと同じ景色のところを4キロも走るのは気力がありませんでしたので、そうやって目標を目指して走っていたのです。そして完走した訳ですが、次の人にたすきを渡し終えたとき、あっ結局走ったんだ、と変にそう思ってしまったことを覚えています。

面白いことに、「青年の思索のために」(下村故人)の中にも、同じお話しがでてきます。「実践目標は小刻みに」という章です。下村氏は、スポーツが苦手だったそうですが、そこで団体マラソンを走ることになったのです。始めて走るマラソンで、完走を目標にするのですが、半分まできて体力の限界を感じるようになり、ゴールまで全然見えないし諦めようかどうしようか悩んだそうです。そこで、「あの立木までなら何とか大丈夫。ダメだったら、そこで止めてしまおう」と決めて走っていると、何とか走り抜けました。そして、次の電柱までなら、といってまた到達し、さらに次の目印までなら、というような形で走り続け、いつの間にやら完走してしまったそうです。しかも、目標のタイムよりも上回ったというのです。

目標を小刻みにしたため、少なくとも完走できるかどうかの不安はなくなり、またゴールが遠いことにも気をくさらして絶望感に陥ることもなかった、というのです。こうした体験から、下村氏は、「何か少し大きい、困難な、そして永い時間を要すると思われるような仕事に取りかかるときには、目標を小刻みにして考える」ようになったというのです。

こうした考え方は、僕のアルバイト経験でもありました。ある飲食店のバイトで、入ってすぐに辞めたいな、と思ったことがありました。周囲の人たちとなじめなかったんですね。そこで、一週間経ったら辞めてしまおう、そう思って仕事に集中していました。目標とする一週間が経つと、もうちょっと頑張れるからあと一週間だけ頑張ってみよう、さらにもう一週間…、そう繰り返していく内に仕事も覚え、周囲の人たちとも仲が良くなっていきました。いつの間にか2年半働くようにたっていましたし、リーダーとして最初なじめなかった人たちに指示までするようになっていました。不思議なものです。このアルバイトを、長期間しようと考えていたら、続かなかったように思います。


渡部昇一さんの仕事や趣味について、「何事も気楽に始めることが、長続きする秘訣」とあります。今日走ったのだって、毎日欠かさず走ってやろうとすると、疲れて途中で投げ出してしまうでしょう。しかし、天気が良い日だけとか、週に2・3回だけとか、そうした気持ちで始めようとすると、意外に長く続く理由になるのです。下村氏も、「目標を小刻みにすることは、決して遠い目標から眼をそらすことではない。遠い目標に眼を注げばこそ、小刻みの目標を見出す必要がある。」と話しています。「気楽に」と「小刻みに」は、ちょっと違うかもしれませんが、最終的にゴールに向かうための心がまえでは、走っている最中や日々の過し方で一緒のような気がします。こうして考えていると、「タイムマネジメント塾」の「細分化」や「計画の立て方」に共通する気がしてなりません。

こうした目標設定の仕方は、今まで下手くそなところがありました。何でもかんでも完璧にしなければ…が強かったのです。が、改めてこうして本を読んで、自分も同じ体験をしていることや、そこから似たような考えを持っていたことに驚いたし、自分もできることなのだと嬉しくなりました。下村湖人さんの偉いところは、体験から人生の質的なものを言い当てているところですが、この走ったころの年齢が、20代とあります。つまり、こうした人生の悟りを開くのには、僕らにも大いにチャンスはあるというものでしょう。どんな体験だって、どう受け止めるかで、ものの見方や考え方が変わってくるので、今の時間を貴重と思わなければなりません。
「夏休みの独り言」
実家から帰えってきました。といっても、同じ市内でバスで40分の距離なんですが…。帰って久しぶりに見たものとは…、TVでした。社内でついていけない話題の一つにTVのネタがありますが、実家に帰ってきて、そういえばここ数ヶ月見ていないなと実感しました。

朝ボッーと見ていたものは、「名探偵コナン」です。昔の夏休みのTVといえば、どことなく人情に厚い?「じゃりん子チエ」でしたが、今では頭を使った番組となってしまいました。30分も見続けるつもりはなかったのですが、ついつい犯人が誰であるかを知りたくて、最後まで見てしまいました。こうした推理ものは、もっとも怪しい人は犯人ではなく、殺された人に信頼を寄せている風の人が犯人である確立が高い傾向にあります。そして今回僕が見た内容も、そうしたものでした。

推理マンガとしてみれば、とても面白いのですが、見方を変えて「人の殺し方」と捉えると、非常に恐い物語になってしまいます。実際、あのマンガを見て、なるほどこんな殺し方もあるのか、と頷いたこともあったのですから。

さて、長期休暇が終ろうとしていますが、この休みの期間は、主に昔読んだ本の再読をしていました。以前読んで気付かなかった部分にはっとさせられたり、解釈をさらに深めたり、とそうしたことが多くありました。その中の一つに、「自分の壁を破る人 破れない人」(渡部昇一)を読んだのですが、以前にもましてうなづくところが多くありました。

「日本人の子供、とくに男の子たちは、生きていく目標、手本を失ってしまった。男の子たちに手本となる人物がいなくなったというのが、実は今日本がかかえている最大の問題点の一つなのである。」

とあります。以前なら、読み飛ばす内容だったでしょうが、今では非常に奥が深いように感じるのです。近現代史を勉強し始めてから、戦前と戦後の歪みなどを考えるようになり、こうした子供の教育とその影響がどれほどのものかを知るようになっていったのです。

この本を読んで、「偉人の勉強会」そんな授業があってもいいなと思います。何も、有名な人を扱うのではないのです。渡部さんがいうように、学者、政治家、相撲さんや看護師さんの隠れた伝記を伝えるものがあってもいいと思います。

昔は、土曜日の夕方だったか、TVで放送されていた「日本昔話し」を見て過していました。日本古来から続く神話や伝説などを分かりやすく、ときに恐く子供たちに語っていたものです。そうしながら、友達や物を大切にする心なんかを教わっていったのでしょう。

昔よく読んでいたもので、小学生用の月刊誌がありました。今でもあると思いますが、中に付録がついているもので、その中に、昔の伝記が必ず掲載していました。今でも覚えていますが、チョコレートを発明した日本人や真珠の首飾りを作った三木のお話しがあり、どことなくアメリカに負けない「日本魂」のようなものを感じて、すげぇと読みながら叫んでいたことがありました。

野球でいうとどうしても選手が目立ってしまいます。当然ですが、そこには審判する人たちもいるのです。こんなことを話すと笑われるかもしれませんが、あの人たちは、別にボランティアをしている訳ではありません。仕事です。選手が汗を流す時間、あの審判の人たちも汗を流しているのです。審判になるのにも、テストがあり資格が必要だそうです。前回の世界大会だったか忘れましたが、日本人で始めて審判として選ばれたことがニュースとしてありました。サッカーでも、そうしたことがあったと思います。選ばれた人の言った言葉の中に、「選手として出場することは果せませんでしたが、この舞台に立ちたいと必死で審判の資格を取ってきました。そして、ようやく夢を叶えることができました。」とありました。素晴らしいことではありませんか。

相撲でも、名力士という人たちはたくさんいます。特に好きだったのが、平成の牛若丸「舞の海」で、体が小さくても頭を使った戦いぶりはいつも感心していました。力士の間に入って、その勝負を判定する行司さんがいます。行司にも位があり、大関や横綱の勝敗を決める人が一番偉い人なのだそうです。昔はホンモノでしたが、今はニセモノの短剣を、行司さんは腰に身に付けているそうです。これは、勝敗を謝って判定してしまった場合、切腹する覚悟があることを示すものだそうです。そこで、以前は、名行司といわれるほどの行司さんがいたそうです。この人が土俵に立つと、間違った判定はしないというので有名でした。が、あるとき大きな勝負で、一瞬の判断ミスをしてしまい、始めて判定を誤ってしまったそうです。このとき切腹はしませんが、この一回の判定ミスで、行司を引退したそうです。勝負師とは、選手だけでなく陰で支える行司や審判の人たちにも言えることなのです。

TVやラジオの天気予報は当たらないと、独学で天気の勉強をした農家の夫婦がいました。その年、水不足で日本中が大変な状況に陥っている中で、この夫婦がいる地域だけが前々から水対策をしていたため豊作だったそうです。

プロジェクトXではありませんが、色んなところで活躍している人がいるし、どんなことであろうとも極めた名人や偉人はいるものです。このように、いろいろな生き方、いろいろな成功の仕方をした人がいるのだから、その中から自分に合うものを見つけ、自分の理想の人物を追い求めていくことができるようになれば、自然と自分の目標や理想を掲げるようになります。渡部さんが言っているように、こうして偉人の業績や生き方から学び、それらを受け継いで生きていこうとするところに、伝統や文化は育っていくのです。コナンが悪い訳ではありませんが、子供たちの多くが見るであろう夏休みのTVの時間に、何かもの足りないようなそんな気がしました。偉業を成し遂げた人の物語だったり、英雄の伝記だったり、そうしたものを子供のうちから見て勉強し、「日本の素晴らしさ」を伝えるものがあってもいいと思うのです。日本人のすごさ、そうしたものをもっと多く知ることができたら、きっと「この国に生まれてよかった。僕もこんな人になりたい」そうしたことを語りだすのではないでしょうか。
「集まり」
昨日は、FUNのOB・OG会がありました。人によっては、約半年ぶりに会う人もいて、顔を見ると、なぜかホッと安心する感覚を覚えました。それぞれ、仕事の状況や環境は違いますが、こうして再会できることは、やはり嬉しいことであります。

会った瞬間、「久しぶり」という挨拶をしました。確かに、ある程度の期間があるのですから、久しぶりといえばそうなんですが、個人的には、「久しぶり」という感覚は全くありませんでした。最近では、携帯で気軽に声を聞くことができますし、ブログの書き込みでそれぞれの状況も把握できるので、「久しぶり」とは遠い感情だったように思います。いつものように元気そうだったということで、「安心した」そうした気持ちで嬉しくなった感情に浸りました。

仕事で成績を残した人、日々の業務を覚えるのに必死になっている人、ちょっと立ち止まって自分を再確認する人、それぞれの立場の人がいた訳ですが、どれも仕事を始めてから思い思いに仕事に打ち込んでいる姿が思い浮かびました。今目の前にある自分の仕事に必死になっているのが伝わってきましたし、FUNの活動がどれだけ役に立っているのか、そうしたこともそれぞれの話から学ぶことができました。

今回のこうした集まりで気付いたことは、OB・OGが集まれたことはもちろんですが、それ以上に、学生さんが気軽に参加できたことも素晴らしいことの一つだなと感じています。聞けば、今年の5月6月に入部した人もいて、OB・OGとも接点のなかった人が参加していました。OB・OGについて全く面識がない人でも、周囲の人たちとすぐに溶け込めたのも、FUNの魅力だと発見したのです。

これは、後輩を思う気持ちと先輩を思う気持ちがそれぞれにあるというFUN特有の力なのかもしれません。すぐに溶け込める一つの要因として、FUNの中には「共通言語」が存在しているのです。この共通言語のテーマは、各自それぞれが持っているものでしょうが、仕事、読書、取材、雑誌、将来、夢…FUNにいればよく聞く言葉ですが、そのどれもが共通言語です。メンバーや活動内容は、年によって違いがあるかもしれませんが、この共通言語を使用することによって、誰もが語り合う材料になるということです。逆にいえば、あの空間は、FUNの活動に関わっていなければ、語り合えないものになっていたのかもしれません。

今後もこの「OB・OG会」を続けていき、社会人になっても助け合い励ましあいながら高めあっていくのは大切なことですし、そうしていこうというのが今回の趣旨であり、スタートでありました。しかし、見知らぬ人ばかりの空間でも、現役の学生さんが気軽に参加でき、気軽に話ができる、これこそOB・OG会にとって目指すべきところではないでしょうか。

日常では感じたことがなかった感動の取材、仲間意識を強く感じた雑誌作り、偉人と出会う読書、発見と視野を広げるビジネス勉強会、FUNにいればこうした日々の活動が社会に出てどれだけ役に立っているか、そうしたことを後輩に伝えていくことも大事なことです。また、学生時代何に熱中したから今の自分があるのか、どんな取材が良かったか、どんな記事が今でも心に残っているのか、どんな本を今でも読み返しているか、FUNの学びで一番大切にしているところはなにか、こうしたことを各自が語り合うことが、お互いの感動の共有であり、思想を広げる人材育成が行われると思うのです。

実社会でやっていることと、FUNで活動していることは、大して変わりはありません。OB・OG会の本当に大切なところとは、OB・OGが久しぶりに楽しく集まれる場所以外に、こうしたことを後輩に伝えていくことも大事な役割の一つではないかと思いました。それぞれが、どんな会話をしていたのかはよく分かりませんが、とても大切な時間が、昨日の3時間にはあったし、大きな組織の発展していくスタートがあの時間には含まれていたわけです。これから、3年後、5年後、10年後…には、台風の目となりものすごい力を発揮する…となるでしょう。ワクワクせずにはいられません。

皆様、どうかお身体には気を付けて、日々邁進していきましょう。また、お会いできる日を楽しみにしています。


「アリ社会」
会社へ出勤する7分間というのは、僕にとって極上の時間です。もう見た人もいると思いますが、福岡城跡の堀には、蓮の花が咲いています。運良く、歩道の近くで咲いているのを見かけると、今日もよいものが見れたと嬉しくなってきます。真っ白く手のひらほどの大きさで、先の方だけほんの少しピンクがかった花びらは、見ていて神秘的な感じを受けます。最近では、朝からカメラを持ってパシャパシャと写真を撮る人も多くなりました。

さて、ある日いつものように歩いていると、足元にアリの巣を見つけました。朝早くからせわせわと多くのアリたちがせっせと働き、虫の一部でしょうか、お荷物を自分の巣へと運んでいました。どうでもいいのですが、アリの巣って、雨が降ったらどうなるんでしょうか。水没してしまうようにも思えませんが、雨対策なんかがあるのでしょうか。ちょっと、疑問に思いました。

別に、じっと見ていた訳ではありませんが、ふと思ったことは、こうして餌を持ってくる、つまり外回り営業をしてくるアリ、遠方まで餌を探しに行くマーケティングアリ、巣の中にずっといる内勤アリ、資産を生み出す社長アリ(女王アリ)がいる訳です。細かい種類なんてものは全く知りませんが、こうして役割分担がされている訳です。アリ社会ですね。

毎年同じ時期に、繁栄活動を行ったり食料を蓄えたりしています。そうした中でも、アリ社会だって、餌が見つからなかったり、人間に踏み潰されたりして倒産することもあるでしょう。小学校の夏休みのTVで見たのかもしれませんが、アリというのはお尻から出す臭いで仲間との連絡を取り合って生きています。仮に、一匹だけ、仲間の臭いから外れてしまった場合、そのアリはぐるぐると歩き回り、体力がなくなって死んでしまうそうです。組織を上手く連携させるには、この臭いというコミュニケーションを常にお互いが取り続けなければならないのです。

では、人間社会ではどうでしょうか。人間も、アリ社会とそう変わらないところがあるのでしょう。同じような組織体制があり、さらに業界によっては、年の3〜4ヶ月だけ稼いで、次の年の計画を立てる企業もあります。臭いではありませんが、やはり社員とのコミュニケーションがなければ、どの人間だってやってられないでしょう。ただ、全く同じというと、やはり人間特有のものがあるはずです。それはやはり、能力を発揮させるかどうかだと思います。つまり、去年より今年、昨日より今日の作業が、少しでも効率よくできるよう、何らかの考えを持って行動しているかどうかだと思います。

毎年毎年、同じ作業を同じような形で終らせていては、アリ社会と変わらないかもしれないと思うのです。ある本に、「君は、アリになれるか、トンボになれるか、しかもなお、君は人間である…」と新入社員に問い掛けていたそうです。これは、アリのように黙って一生懸命働き、トンボの複眼構造みたいに色んな角度でものを考える習慣を身に付けられるかということ。でも、ここまでなら、昆虫にでもできるから、さらに、人間としてのあたたかさ、豊かさという教養も身に付けなさい、という思いが込められて問い掛けられていたそうです。

なるほど、そうですね。仕事と考えると、昆虫も必死で働いている訳ですが、人間という特質を生かすためにも、昆虫と同じでは意味がないのです。昔は、職場を修行の場だと考えて、毎日を過していましたが、そうしたことも、教養を高める意味合いがあったからだと思います。自分をいかに高めていくか、そうしたことが仕事をする上で大切な訳ですが、これは職場に求めるものではなく、自分で見出していくものなのでしょう。
「テーマを持つ」
プラリバ7階で、古本祭りというものが行われており、土曜日の午後に参加してきました。あの7階というスペースは、半分は100均のダイソーが占めていますが、残りの半分は、毎回何頭のイベントが行われています。以前行ったときは、「癒しの空間」や「各地方の物産店」などでしたが、今回は「古本」だったみたいです。

土地というか、空間というか、あるテーマを付けると、それに付随した出展者がおり、またそのテーマに沿った買い物客が寄ってくる訳です。ただのデパートではない「売り」を出すために、主催者側もあれこれと工夫を凝らしているのですね。聞く所によると、遠くからは熊本や宮崎からの出展者もおられたそうです。今回は、夏ということもあり、お隣では出店風のイベントも行われていました。除いてみたい気持ちも少々ありましたが、本を探すのに2時間立ちっ放しで疲れてしまい、見に行く気力がありませんでした。

今までも何かの機会に、本のタイトルや著者の名前を何度も見てきたので、欲しい本を探すのが早くなったように思います。これらの本を手に入れるために、2時間ずっと集中していました。

本を探すのに、2時間も集中したことなんて、多分今までにあまりなかったことではないかと思います。なぜ、集中できたかというと、一つは、最近ゆっくり本を探すことがなかったため「欲しい、買いたい」というような気持ちがあったことと、もう一つは、今自分が持つ「あるテーマ」について、答えとなる考え方を「見つけたい」というのがあったからだと思います。

何かのテーマを持つと、物の見方が変わってきます。例えば就職活動でいえば、行きたい業界を「広告業界」とすると、就職サイトのチェックの仕方が変わっていきます。また、全てにおいて「広告」の視点で物事を見るようになるため、普段の生活でも、雑誌、TV、交通広告、看板などに意識がいくようになり、今まで気付かなかった何気ないことにまで関心がいくようになります。

不思議と、自分のために用意されていた情報かと思ってしまうほど、嬉しいときもあります。ただし、こうした情報とは、なにもその人のために発信されたわけではなく、自分の興味が変わったために、それに気付くようになっただけのことです。テーマを持つことで、情報の価値は変わるわけです。

では、最近僕が色々考えてみたいなと思うことはというと、「人と組織」についてです。説明してくれといわれてもよく分かっていないのですが、そのために読みたいなと思っていた内容が、歴史、思想、精神、日本、教育などです。こうしたテーマを持って本を見ていくと、漠然と探すことなく、それに沿った情報が目に飛び込んできたのです。テーマを持って探したお陰で、欲しい本を見過ごすことなく、15冊ほどですが手に入れることができました。

ここで僕がなにをいいたいかというと、つまりは、テーマを持った時間の過し方や努力の仕方が、正しい集中の仕方につながるということです。(これはもしかしたら、「80対20の法則」でも、あった内容かもしれませんが…)

プラリバのある空間にテーマをつけるのもそうですし、自分の時間にテーマをつけるのもそうです。その時々に、何かの「テーマ」をつけることによって、人が集まったり、集中したりするようになるのだと思います。音楽のライブだって、雑誌の中身だって、修学旅行の内容だって、何でもテーマはあるものなのです。テーマに関心がある人のみが、買ったり時間を過したりするようになります。

ならば逆に、これから自分が行おうとすることに、何らかのテーマを持って挑んでいくようにすると、「集中力」が発揮されるのだと思います。

こうしたことは、自分の夢を持つことにも当てはまると思います。大きなテーマを持って生きることも大切ですが、その中には、小刻みに分解されたそれぞれの小テーマを持って、毎日を過したり何かに取り組んだりしていくことが必要だと思うのです。そうすることで、必要に応じた優先順位が決まり、その時間にすべきことが明確となり、集中しそして達成へと近付いていくようになります。その積み重ねが、大きな目標の達成になるのだと思うのです。僕が今回本を探すに当たって、テーマも持たずにウロウロしていたら、きっと良書にもそっぽを向かれ、見つけることもできなかったでしょう。

今回買った中で、今日読んだ本は、「青年の思索のために」(下村湖人/新潮文庫)でした。また明日も、発見のある日となることでしょう。
「人事のお仕事」
今僕は、新しい商品のパンフレット作りをしています。原稿の内容、キャッチ、レイアウト、など全て自分で作っています。人事担当者が見て欲しくなるような内容を作るということは、人事担当者が、どんな悩みを持っているかということを知っておかなければならないということ。

最初は、こんなことが大変なのではないか、こういうことが面倒なのではないかと予想していたのですが、しかしそれは想像でしかありませんでした。営業をしながら、新商品の開発に当たりながら、そして人事に関するお仕事も少々しておりますが、結構大変なお仕事です。

人事というのは、社員の評価、給与計算、異動、相談、面接くらいにしか考えていませんでした。当然かもしれませんが、ミスは許されないポジションです。良い人材が採用できなかったり、良い人材が辞めていったりすると、上司から管理能力がないと叱られます。給与計算が1円でも間違えば、全社員から非難の声を浴びることになります。異動も評価も、かならず不満の対象となるのが、このポジションです。

この内、今回僕は、面接採用全般を担うことになっています。人事と聞けば、「面接をする人」と思うかも知れませんが、実は、面接をするのは、ほんの少しのことなのです。その面接から採用にいたるまでの8〜9割は、事務作業なのです。サイト掲載の計画、サイトの管理、会場予約、資料作り、選考基準、メールの送信などを行います。また、学生一人ひとりに合否結果を告知しなければなりませんが、一通でも間違っては大変ですし、個人情報保護法で、自分以外見られない情報などもあり、これが漏れては余計大変です。今約150人ほどの学生さんの管理をしていますが、大企業となると、何千という学生の管理をしなければならない訳ですから、これは大変ってもんではありません。

8月の後半から、説明会や面接などもしていくことになりました。自分が体験してきたことを、今度は企業の視点で「する」側になったのです。面接で緊張する学生さんをどう落ち着かせるか、普段考えていることをどうしたら聞き出せるか、この会社のどこに魅力を感じたのかをどう引き出すか、大切なのは、パフォーマンスを見るのではなく、普段その学生さんがどう考えているかを知ることです。不思議な感じではありますが、今はこうした仕事もしています。

昨日読んだ本の中に、「良書が人間の顔を変える」とありました。そこに、ホンモノとニセモノの差にこんなことが書いてありました。

骨董品の鑑定のときによくいわれるのですがね。
ホンモノは、いつも隠れた美しさを備えていて、誰かの愛情によって発見されるまで待っている。この「待つ時間」の、静かで、自然であることがホンモノの証拠です。これに反して、ニセモノは美しさを表にあらわそうとして、常に焦っています。だからいかに上手く、「待つ時間」を虚構しても、そこには必ず媚態があらわれます。

骨董品に関してはさっぱり分かりませんが、「ホンモノ」を見るのはこうした魅力があるのだろうと思いますし、これは採用でも当てはなる視点だと思いました。

今日は、新しい商品のパンフレットの叩き台ができる日です。2週間練りに練ってきたものが、形になるので楽しみです。
「壁」
何かに挑戦しようとすると、そこには壁というものを感じるときが必ずきます。最初のころはスムーズにいって、この調子でいけば上手くいくぞ!と思っていても、いずれ今の自分の能力だけでは超えられない何かを感じるようになるものです。何かに挑戦しようと思うと、そうしたことには必ずあるものです。逆にいえば、そうした壁をどうしたらクリアできるかを考え実行し続けていけば、いつしか脱却できるものだとも思います。

今僕は、日本第3位に入ったことのある営業マンと、原稿の勝負をしています。勝負といっても、会ったこともなく、またどんな人かも全く知りません。すごいという噂くらいしか知りませんが、僕が一方的に勝負を挑んだのです。どちらの原稿がいいのか、それはお客さんがジャッチします。第1回目の勝負は、先週でした。写真とキャッチコピーを考えに考え提出。その結果は、完敗でした…。「インパクトがない!」とのお客さんの反応で、結局相手の原稿が採用されました。

取材記事を書いたことがある人や、就職活動のエントリーシートを書いたことがある人は、経験したことがあると思いますが、自分の思いを言葉にできないことがあります。自分は、○○って伝えたいのに上手い表現ができない、△△っていう感情を分かりやすく説明できない…、そうしたもどかしい思いをした人もいると思います。日本人なのに、日本語も知らないっていうような状態です。とても悔しい思いをするものです。

今回の勝負した先方の原稿を拝見しましたが、僕が伝えたかったものが、その原稿の中に詰まっていましたし、それ以上の思いがそこにはありました。読者の方は、「求人広告」を「読みもの」として見ている人はあまりいないでしょう。僕ら作り手であっても、情報をきちんと整理して掲載すればよいとしか考えていないなかで、企業の欲しい人材をたったの「11文字×5行=55文字」に詰め込むことは至難の技です。そこには、表現の規定、言葉の知識、ヒアリング能力、求める人材のイメージ、言葉の限界があるのです。

しかし、今回目にした先方の原稿は、それらの壁を越えた「生きた原稿」でした。どう表現したら伝わるか分かりませんが、写真の女性が、原稿から飛び出して読者に呼びかけているような感覚なのです。「読む」ものではなく、「語りかけてくる」そんな感じです。文字が躍っていて、生き生きとしているのです。そんな原稿は、読者受けもよく、やはり反響も高い数字です。作り手として考えるならば、その営業マンが写真の女性になりきって、言葉を発しない限り出てこない内容作りなのです。「求人広告を見て、感動する」そんなことは、就職するまで考えたことがありませんでした。

中学時代陸上をしていて、100Mを12.4秒で走っていました。しかし、どんなに練習しても、12.3秒代は出せませんでした。0.1秒に中に、越えられない壁というのを感じたのを覚えていますが、ここにもまた越えられそうで、なかなか越えられない「言葉」の壁があると実感しています。さすが、全国で第3位になっただけの人であるなと思うしかないような内容です。逆に、仕事において、どれだけこうした壁を感じるかも、大切なことだと思います。それだけ、何かに越えようしているのですから。

さて、生意気ながら今週も勝負を挑みました。今日中に、お客さんから連絡がくることでしょう。今回は、かなり勉強になりましたし、新たな目標ができました。正しいジャッジをするのは、お客さんです、今日は静かに連絡を待っておきましょう。
「情熱」
大濠公園などを散歩していると、高校生くらいの団体でしょうか、体育祭の練習をしています。夜も遅いのに、ダンスや掛け声に一生懸命で、そんな姿を見ていると、ついつい自分の高校時代のことを思い出してしまいました。

僕は単純な人間なんでしょう、集団でなにか一つのことを目指しているのを見るとつい、カッと心が熱くなってしましました。きっと周りに影響されやすいたちたんでしょう。普段着のまま、おもいっきり走ってみたい感情に駆り立てられたのです。

中学や高校時代、何かに対して正義感が強く、何か一つのことに対して熱く燃え上がっていました。集団行動はダイッ嫌いでしたが、唯一の楽しみが部活でした。なぜ没頭できたかというと、そのころは必ず持っている感情かもしれませんが、なぜ、大人って冷め切ってしまうのだろう、そんな大人にはなりたくないものだ、と思っていたことがありました。逆に、そうした思いがあったからこそ、空虚な気持ちを避けたいがありまりに、何にでもがむしゃらになっていたような、そんな自分であったように思います。

団体のリーダーだと思うのですが、開催日の残り2日間をもっと集中していけば必ず勝てる、そう言ってみんなの意思統一を図っていました。ついつい、ジーとしてしまいました。「情熱」こんな言葉を口にすると、すぐ熱い人やね、って笑い飛ばされそうですが、この「情熱」をこの集団から感じてしまいました。

建築家、創業者、芸術家など世界でも有名な人は、一つのことに没頭し、独創的なものや思想を確立して、大事業を成し遂げました。そうした人たちは、みんなものすごい情熱の持ち主です。話すだけで、周囲への影響というのは大きなものです。そこで思うのが、「情熱」というものは、こうしたトップクラスの人だけが持っているものではなく、誰にでも持ち合わせているものではないかと思うのです。会った高校生の集団も、何か一つのことを目指している姿が、僕の心を動かしたし、最近知り合いに借りた音楽にも感動させられました。そこには、その人たちの「情熱」が僕にまで伝わってきたから、感動したのだろうと思います。

マッチの小さな火でも、火炎放射器のような大きな火でも、火が付けばどんな山だって火事をおこすことは可能です。一つ違うのは、山火事が起るまで、燃やし続けるかどうかだと思います。誰だって、自分もこうなりたい、こんな生き方したい、というのはどこかに持っているものです。自分にストレスを感じるならば、そうした臨んだ生き方から反れているから、持つ感情ではないでしょうか。そうした「なりたい自分」を、小さな火でもいいので、コツコツと燃やし続けるかが、「情熱」を持つカギではないかと思うのです。いきなり偉人というのは現れません。いきなり情熱がなにかを成し遂げることもありません。山崎鷹山の火種の改革を知れば、いきなり改革が成功したわけではなく、コツコツとした情熱が世の中をも変えていくのがよく分かります。


誰だって持っている「情熱」とは、熱さではなく、持ち続ける意志の強さを意味するのです。あのチームには絶対負けない、絶対勝とう、そんな掛け声が夜の高校生の集団から聞こえてきましたが、そうした思いを最後まで持ち続けるチームが、同じチームの人たちを動かし、最後に大きな結果として返ってくるのです。熱は伝導するものです。火は移っていくものです。そうしたときに、大切なのは大きな火を持つことよりも、大小に関係なく持ち続けることが大切です。高校生だから持っているもので、大人になったら消えてしまうことはないのです。誰だって持ち合わせることができる「情熱」の行方は、きっと身近にあるものだと思います。
「欠点は、長所」
「言いたいことをいえばいい」とする考え方が流行っているのか、それともそうすることが正しいとしているのか分かりませんが、どうも「言いたいことをいう」という人が多いような気がします。それが、悪いことではないのですが、どうも僕には引っ掛かってなりません。

僕がこの言葉について考えるようになったのは、転職をしているときです。ある女性社長から、「私はいいたいことは、はっきりいいますから」と、就職活動に対する考え方を、話し出したことがありました。それは、なんてことのない内容だったのですが、そのとき、この「言いたいことをいう」という響きに、どうも納得がいかない思いをしたことがあります。

後でよく考えてみると、結局は「自分が言いたいから話す」のであって、「相手(僕)のために伝える」という思いは全くなかったと感じたのです。優先順位が、相手よりも自分の方にあるように感じたのです。だから、違和感を覚えたのでしょう。


最近、知り合いで、僕の「欠点」を述べる人がいます。その人は、どう思ってそう発言しているか分かりませんが、○○の言い方は間違っている、△△のところは直した方がいい、との連発です。言われているその状況というのは、誰しもいい気分ではないでしょう。僕だって、褒められる方がどれだけよいだろうかと思います。

しかし、よく考えたら、他人の欠点をずばずばと言ってもらえるのは、僕に対する期待があるから言うのだし、ちょっとでもよくなって欲しいというのがあるからです。仕事でいうなら、「上司から叱られるうちが花だ」と、叱られなくなったら、よっぽど仕事ができるようになったか、諦められたかのどちらかだと。

正直、いいたいことをいいやがって…、と思うことも多くあります。しかし、そうした欠点を言われる中でも、ある発見があったのです。毎回欠点を言われる度に、きちんと聞いている自分もすごいなと思うのです。嫌だなと思うことがあれば、言い訳を言ったり、そんなことはないと拒否したりしそうですが、それを最後まで聞いている自分もいるのだなと、つい最近気付いたのです。また、その人だって、誰に対しても、ずけずけと言っていることはないでしょう。他人の欠点をいうのは、勇気がいることです。そこで逆に、「欠点」を話しやすい体質や雰囲気が僕にはあるのではないかと思ったのです。

つまり僕には、欠点を指摘しやすい何かを持っていて、また、欠点をきちんと聞いて直そうとする姿勢も持っている、ということです。これって、自分の欠点が長所を見つけてくれたってことにもなるでしょう。なんとも、ありがたい発見です。

逆に、評論家のように他人の欠点ばかりを話している人間って、実は「いいたいことを言う」のと同じように、しゃべりたいだけしゃべってあとは終わり、ということも少なくないように思います。そうした人ほど、「自分が言いたいから話す」ことが多く、「相手のために伝える」姿勢は持っていないものです。話すことで自己満になってしまい、また聞く姿勢がなく、自分の欠点を誰からも指摘されず、実は悲しい存在なのかもしれないと思うのです。

「80対20」の法則の中で、師と弟子の関係がありました。教えるとなるとどうしても師の方が勝ってしまいます。ただ、師だって学ぼうとすれば、弟子からもたくさん学べることは多くあります。ある本の中では、7歳の少女からだって、学ぼうとすれば色んなことが学べるものだとありました。

まずは、欠点でも色々と学べるものだということです。どんなことでも聞こうとする姿勢を持っていること。そして、他人から話しやすさ(指摘など)も持っていること。そうしたことが、自分の長所の一つとしてあるのだろうと、最近の発見がありました。こうした長所は今後の仕事にも充分発揮できる能力だと思います。新規事業に当たって、やることは多く、大変でもあります。が、こうした能力を持っている僕にとって、周囲の力をうまく借りながら、成功していくのでしょう。そもそも欠点というのはなく、今の自分をどう受け止めるかで、長所にもなりうるものだなと思います。

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